幸せな老後を考える。
とりとめもない話をば。
わが教室の最高年齢のセッちゃんは、90歳である。
正確には、89歳なのだが、「89も90も同じだ」と言い張る。
都合の悪い話は聞かない。
都合のよい話は聞く。
「お元気ですね!」という言葉は聞こえる。
「お若いですね!」も聞こえる。
「そういえば、お月謝どうされます?」は聞こえない。(笑)
加齢はあるが、ものすごいしっかりしている。
都合の悪いことは忘れる。
都合のよいことは忘れない。
昨日、久しぶりに、ウイルスバスターの期限切れが出る、どうしたらいいか?と、パソコンを持ってらした。
「これは新しいのを買ってこなくちゃいけませんね」というスタッフ。買ってきてあげなくちゃいけないかな?と思っていたら、「私、1日もパソコンのない生活は考えられないから、ちょっと買ってくる。」と一人で池袋に行ってすぐに買ってきた。なんたる行動力!
「私、おばあちゃんでしょ。おばあちゃんというのは、パソコン苦手でしょ?だから、全部やっておいてね」と独自理論を展開するセッちゃん。
70くらいの人を捕まえて「あんたは、まだ若いでしょ。だから人に頼って生きちゃだめよ」とめっちゃ説得力のあることを仰る。
セッちゃんを前にすると、誰も、何も言えないのだ。
最近、幸せな老後について考える。何を考えてるんだ!と色々な人に突っ込まれるが、老後をベースにした人生設計に切り替えている。
年をとって、ずっと不満ばかり言っている人は多い。
人が言うことを聞いてくれない、親切にしてくれない、やってくれない、やさしくない。
そうはなりたくないなあと思う。
もう年だから何もできない、若い人がうらやましい、そういう人も多いけど、あなたにも若い時代があったんだから、その時は楽しかったでしょう?と心の中で言ってみる。
そうじゃないのかな
仲良しの85歳が言う。
「最近の技術はすごすぎて、本当に驚くよ。でも、早く死にたい!とは全く思わない!」
すごいパワーだなあ。人が集まる人は、普通の愚痴老人とは全然違う。
どうせ、年をとるのだから、人から愛される老後がいいな。自分しか愛せない老人にはなりたくない。お金しか頼れない老人にもなりたくない。(もちろん、サービスの対価として支払うことは重要だけど。若い人に「お金があるから付き合うんだけどね」と言われたくない。ということ。)
老人は出せるパワーが少なくなるので、どうしても下から吸い上げようとする(イメージ。)そんな中でも、人が集まってくるような老人になりたいな。パワーを失わないようにし、若い人に道を譲り、口を出さずに金を出し、経験を忘れ、お手本のような老人になりたい。死ぬ前に恋をするのもいいだろう。
と、最近、そんなことを考える。寒いからかな。というよりも、無事に老後を迎えられるのか?とたまに思うけど。