やりたいことがわからない、けど。
区のIT講習会の人員も含め、当社では毎月60名近いシニア層の「受け入れ」をしている。(最近疲れが取れないのは、ミソジのせいだけではない筈。)
IT講習会にいらしていただく方の半数は目的がある方だが、半数は目的が無い。
「よく解らないけど参加してみた」という方が多い。
「どんなことしてみたいですか?」という問に対して
「良く解らない」という回答がかえる。もしくは、「○○がしてみたい」という割には、該当講座を申し込まない。
なんとなく、漠然としている。
与えられるのに慣れている人達は、選択することは得意だが、自らデザインすることはできない。
映画を批評することはできるが、作ることはできない。
そんな感じ。
だから、明確な答えを当方が要求すると相手は良くわからない回答をする。(まあ、解っていて聞いてみる私も意地悪です。すみません。)
大体、私はネタに困ると相手を困らせるような「何がしたいですか」系の質問をする。そして毎回答えが返ってこないよね。と納得する。そんな感じ。返ってきても、それは得てして真実ではない。
若い方はそれでも情報に敏感なので、さらに、周りに人が多いのである程度努力しなくてもアンテナが立ってる。
ところが定年退職をすると皆口をそろえて言う。「なかなか情報が入らなくてね」
それが、前に実施した情報源調査でも解ったことなのだけど、とにかく情報源が少なくなる。でも、目の前になんだか不思議で難しくて、何でもできそうなパソコン君がいる。でも、情報が少ないので何ができるかわからない。その漠然とした差異が彼らを「良くわからないけどパソコンを使いたい」と思わせる。
選択肢は少なすぎてもいけないけど、多すぎてもいけない。
何でもできますよ、は何にもできませんよ。ということ。
結局パソコンがシニア層の中ですっごい普及!って感じにいかないのは、何でもできすぎるからじゃないんだろうかと思う日々。世の中はもっとシンプルになればいいのに。
ちなみに、皆さんには信じられない話かと思いますが(信じられる方はそうそう、と頷いてください)、たとえば市販のテキストがあって、シニアの方がそれを見ながらやって、一番の不満点は「教科書と同じにできなかった」ということ。
私がパソコン教室を始めたときは、もっと皆に創作の楽しさを伝えよう!と思っていただけに、皆さんがそういう既成的発想をするのにとても悲しくなった。
今は、うちのやり方というか、のんびり思想?が浸透したので、誰も教科書と同じものを作ろうという(特に自分の作品、年賀状などについて)人は見受けられず、反対にそれが苦労のモトだったりもするわけだけど、カスタマイズというのは、彼らの思惑の範囲内でしかカスタマイズできないということなのだ。年賀状で言えば絵を入れ替えることはできる。入れ替えられるけど、それを動かす、レイアウトを変更する、もしくはねずみの絵をやめてみる、という発想にはナカナカ至らない。やりたいことは、提供されないと解らない。そして、彼らは提案できない。