気付かない事はわからない
仮説力は気付き力だと思う。というようなことを、先日誰かと話した。
仮説を立てる前に、気付く力をいかに養うか。
今の家に住んで(おおっと)もう10年経つが、未だに新しい店を開拓したり、新しい道を見つけると、10年経っていても何も見ていなかった自分に驚く。毎日通っているのに、しばしばその場所を見るのに、見ている振りだけをしている。
知人が言った。
「若いって事は、全てが刺激なんだよ。年を取るとそれがルーティンになっていく。」
若い時や教室を始めた頃には生徒さんの一つ一つの行動が衝撃だった。経験を積んで、本当は新鮮なことなのに今までの区分に組み入れて「よくある×2」みたいな感じでかってに自分の中で分類してる。
なので、学生のアルバイト君と話したり、外部の人と話すと、色々なことに気付き、感動する。そして、自分の老化に時折落ち込む。
気付きというのはとても重要だ。気付かないでも生きていける。
気づきを支える、提案するのも私達の仕事だ。
たとえば、普段は雑草など気にしなかった事をデジカメを持つようになってそれをも美しく感じられるような。
いくつになっても人生に伸びしろがあるとお互いに思えるような仕事場作りも私の仕事である。
ところで、弊社はIT講習会を請け負っている。
その講習会でいらっしゃるのが大体月4,50名。殆どがシニア。(時折若い人もいる)
リピーターの方もいらっしゃるし、初めての方もいる。
初めて講習を受ける方には、OSはOfficeのバージョンを聞かなくてはいけない。
まったくのパソコン初めて講習の場合は、いつごろパソコンを買いましたか?という話をする。
「結構前。」とか「2,3,4年くらい前かなあ」と言われると、XPなんだかVistaなんだか解らなくて少しなきたくなる。
少し触っています、と言う方にはOSを聞く。
ただし、「OSはなんですか?」と一度聞いた時に、「そういうのが解んないと、講習は受けちゃいけないんですか!?」と怒られて以来、「左下のボタンはスタートですか?それとも黒丸ですか?」と聞くようにしている。
しかし、「え、そんなこと言われてもきづかない!」とか、「見たことがない」(そりゃないよー!)と言う人が大半である。
気づかない事は解らない。気づかないということは、見えてないってことだ。
ユーザーテストをしていても、見えて無いって事は、存在が無いって事だってことを良く思う。
作る人は、使う人が作る人と同じ物やことをみているんじゃないってことを心のソコから納得しておかないといけない。
最近、ソフトのマニュアルを作ることが多かったのだが、サポートの欄に「お電話の際にはOSをお知らせ下さい」みたいな文言を入れていて、ムムムとなった。(入れちゃったけど。スペースないし。)
「SOSのSが抜けてるんですけど、脱字ですか?」とかって言ってきそうな色々な方の顔を思い浮かべながらムフムフ笑っていたらうちのスタッフに怪しまれた。電話で「SOSです」なんて言う人見たこと無いなあと妄想が空を飛んでいく。