iPad がすごい。(iPadと高齢者)
iPadがすごい。
ケータイとか最近持ち歩き始めて、PCはあまり使えずに、機械音痴と自称している人が「私でもiPadはできそうな気がする」という。
高齢者向けに色々なものが優しくなっているというのに、若者にも受けるiPadが高齢者に受けるというのはどういうことだろう。
iPadが見せた「使える」「使って楽しそう」「私でも出来そう」の壁は「機械が苦手」の気持ちをひらりと飛び越えた。
さらに、それが「高齢者向け」の商品ではない。
我が家の目の前に住むおばさまも(確か70歳近いはず)、本日パソコン教室の受付にいらした80歳近いおばさまも、「パソコンとiPadどちらがいいかしら」と相談してくる。
もう、iPadにジェラシーを感じざるを得ない。
今まで一生懸命おしゃれして、御化粧して、あなた好みのオンナになったというのに、とんでもないところから「とんでもない」人が現れてあなたの心を盗んでいった、って感じの演歌を勝手に妄想の中で歌う。(メロディはない)
なぜ、この「とんでもない」ができたのだろう?
いままで、携帯ですら高齢者には普及するのに多少時間がかかり、電子書籍?とんでもない、機械嫌い!という方々が「入院した時に本を持って行くより楽そうだし」という。
いったい、これはなんなんだ?
1)メディアの力
多くのメディアがおじいちゃん、おばあちゃんにiPadを触らせて「自分もできそう」と言ってもらった。だから、「高齢者向き」。とはいえ、若者も熱狂する「オシャレ」なので、持っていても抵抗がない。
2)機械じゃない
iPadが「機械」じゃなくなった。
これもメディアの力が大きいけれども、「モノ」に向かって笑顔でいるのが映されている。PCを目の前にして笑顔の人がモデルになることは最近あまり見ない。大体、しかめっ面をしている気がする。だが、iPadの前では笑顔なのだ。なので、「機械」という小難しいものではなくて、「機械」を飛び越えた「ワクワク感」が目の前にある。なので、「機械」のイメージではなくなった
3)用途が解り易かった
iPadはメールと電子書籍だと思っている人が多いような気がする。本当はたくさん機能があるのだけど、入り口で、使い方を絞って見せたのが分かりやすいと感じられた鍵なのかも。なんでもできるじゃ難しそう。1つだけだともったいない。3つくらいできれば楽しい。メディアの人もあまり使いこなせていなくて、その切り口でしかiPadを使えなかったという点も大きいかも。だから、単純にしか説明ができない。
4)大きさがいい
私が持っているiPod touchを高齢者に見せた時、画面を大きくする動作についてどうかな、と思いながら見ていたのだが、最初はうまくいかなかったものの、すぐにできるようになった。ただし、画面が小さい。
iPadは画面が大きいというのもいいのだろう。
5)持っていて、かっこよさそう
本当は、カッコイイモノが持ちたいのかもしれない。それが無駄にならず、簡単にメールができるというのだからもちたくなるのかも。かっこいいって言ってもらえる。
まだまだありそうだし、もっと整理できそうだが、この10分くらいで考えたことはそんな感じ。
そういえば、iMacが出た時、電源入れるだけでインターネットに簡単につなげる、というCMがあり、パソコン苦手な御姉さま方がこぞって買っていた、ということを思い出した。
そして、実はそんなに使えないということが後から噴出した、と言う話を聞いた気がする(※要出典)
もしかしたら、iPadもそうなるのかもしれない。実際に買ったら使えない人もいるだろうし、バックライトの明るさを変更できるようにしてほしいとか、アプリのダウンロードが難しいとか、いろいろ出てくると思う。
しかし、一般の高齢者が「機械をほしがる」という稀な事態を見て、「すごいなあ、iPad」と言うしかない。