シニアマーケットと天岩戸

職業柄、たくさんのシニア層と接する。
現状、現場に立つことは1週間に2,3回しかなくなってしまったものの、現場にいなくても色々な人が話しかけに来るし、ユーザーテストもしているので、やはり1日に10人以上と話している。人手が足りないときは教室の新規加入者に対して教室の説明・営業もする。
私が説明をしたとき、9割方がその場で入会を決める。
シニア層の分析などを仕事としてやっていることが、実は新規入会の際にもきちんと活かされていて、しゃべった瞬間に「こういう人だろう」では「こういうことを言ったら喜ぶだろう」ということを解っている。だから、営業が上手とか上手じゃないのではなくて、そうなるべくして、そうなるのだと思っている。だてに、1000人以上の人と話してないですから。
今日はその話をスタッフとしていた。
シニア層はどうして人の話を聞かないのだろう。と言う話だ。
うまく言わないと話は伝わらない。どうして、うまく伝えられないのだろう、と言う話になった。
シニアマーケットを狙うのに、大きく二つの問題点がある。
1)シニア層が話を聞かないという問題
2)うまく話をできない問題
多くのシニア層は、人の話を聞いているふりをするが、本当は話を聞いていない。
話していると、最初の3秒ぐらいで「ああ、ボクそれ知ってる。大丈夫」となる。「ウソだ!」(山田奈緒子@トリック風に。古い)これからが本題なのに、クイズだったら「お手つき!」となるところである。
実際に、やっていただくとできないことが多い。ただ、面と向かって「ウソだ!」とはいえないので、手を変え品を変え、実際にやっていただいて「ああ、ボクできなかったんだね」と納得していただけるまで待つ。
ということは


話の出だしで、いかにそれがあなたのニーズにマッチしているかを解かなくてはいけない。
とある方と話していて、それはうちの会員さんではなく、もっと重要な話をしていたのだが
「森さんが言うことは解るんだ、でも、ボクが必要なことはほかのことなんだ」と仰った。
少し、むっとした。「必要なことはほかのことなんだ、と仰るのはわかります。でも、今のアナタに必要なのは○○で、今、これを習得しないとアナタは半年後に後悔することになるのが解っています。過去にも多くの方が同じ事を仰いました。そして、全員がそれを避けました。避けたことによって、今泣いています。でも、それを今やらなければ私はあなたを助けられません。でも、きっとあなたは避けるでしょう。それがオジサンというものですから。」という内容をやわらかく言ってしまった。
先日は某シニア女性が「これは私には必要ないわ」とうちのスタッフに言った。「だって、聞いても解らないもの」彼女は生徒さんなので、あまりにもわからない場合にはしょうがないかな、とスルーしたのだが、結局、「必要ないわ」の部分はあとから必要になる部分で、同じ事を習っているとは解らずに同じ質問をし続ける。
これが若い子だと「今は必要なくても、後で必要になりますから、とにかくやっておきましょう」というと「そうですよね」となる。スタッフS「それが、若さなんですよ」  成程。
そう、若さ。
2)提供者がうまく話をできないと言う問題
話を聞かないシニアに、頭ごなしに「シニアにはこういうのが役に立ちます」とか「セカンドライフを楽しむにはこれが役に立ちます」とかって言っちゃう商品とかサービス。
この情報社会で多くの役に立つものは多分にシニア層の目に触れている。
あなたの商品が役立つはずであるのに、手にとられないのであれば、それは提案方法・伝え方が足りていないのだ、と思う。
あなたにはそれが本当に楽しいか、役立つかどうかを伝える義務がある。
それが冒頭に「私が営業すると大体入る」の理由である。その商品が、あなたをわくわくにする確約を持たせてくれているかどうか、それの伝え方が甘いと、人は引っかからない。時には叱り、時には宥めすかし、上へ、下へと動かしながら、伝えることが重要だ。伝わらない言葉はたわごとである(当社に入った人が一番最初に言われる言葉。)伝わらない言葉が量産されすぎている。特にシニアビジネスに関して。
シニアマーケットは、存在していない。なぜかというと、彼らがシニア層だと思っていないからだ。
しかし、シニアマーケットは巨大な帝国のように存在している。徳川埋蔵金のように、埋まっていて見えない。誰もがそれを発掘しようとしている。それは、シニアビジネスを志すものの思惑を「知ってるよ」と言う言葉で跳ね除け、そして、シニアマーケットと言う土壌は、あなたの言葉では穴をあけられない。天岩戸のようなものだ。押しても引いてもだめなら、天岩戸の前で踊ってみよう。すると、シニア層の扉が開かれるかも。
ということで、シニア層が聞いてるふりしている、というのを見逃さず、「必要ない」という跳ね除けの言葉に負けず、彼らの前で踊る。それがシニアマーケットの最後の砦のように見える。
踊る阿呆に見る阿呆なら、扉を開けるために踊りたいものですね。