共感不要
相手の存在を理解するように努めること
共感ということが、とても苦手だ。
自分自身のことすら時折理解できなくなるのに、他人の感情を共に感じるなんて、無理な話だ。
「女子だから共感できる」?
その主語の大きさに共感できない。1mmも共感しない。共感できないのではない、しないと決めている。
「共感力が高い方が人の心が云々」?
その共感が本当に正しいとどうやったらわかるのだろうか?1mmもわからないし、わかろうとしない。
弊社にはいろいろなお客様がいらして、いろいろな境遇で育ってきて、セロリが好きだったりピーマンが嫌いだったりするわけで、いちいち共感していたらこちらのアイデンティティが崩壊する。
「さっきまでセロリ好きって言ってたじゃん」
「なんで今、ペロリ好きって言い間違えたの?」と無駄な炎上に発展しかねない。
「にわかだ!」とか、責められることを考えると気の小さい私はどこかに逃げたくなる。
そこで、私が気を付けてやっていて、スタッフにも意識するように言っているのが
「共感しなくていい、存在を理解するように努力しよう」ということである。
アジアゾウさんが好きなんですよ。
私は、アジアゾウが大好きだ。
暑い日の耳パタパタしているのとか、嬉しい時にしっぽピーンってなるのとか、シャインマスカットを食べるときの超嬉しそうな顔とか、子象が砂山から滑る時に本当に楽しそうなところとか、とにかく、アジアゾウさんを見るのが大好きなのだ。
ゾウ仲間はいう「わかるわかる~!!超かわいい!」
完全なる共感だし、共感する気持ちも分かる。だってかわいい。
しかし、残念なことに多くの人は、全く共感できない。共感するポイントを見つけられない。あんなにかわいいのに。共感できない人と私との共感ポイントもない。実に、ベン図の〇がちょびっとたりとも重ならない。
そういう経験があるからこそ、私は「存在を認める」。というと、上から目線だと言われてしまうので「存在を理解する」としている。
「アジアゾウ好きな人がいる」「気持ちはわからないが、存在はしているのを理解している」
これでいいんじゃないのかなー
共感よりも、なりたさをサポートしたい
数学ができない人がいる。数学ができない人や、Excelが苦手な人が弊社に通学している。
できない原因はいろいろある。それぞれ、認める。「そんなわけない」などとはいわない。
わからない気持ちわかるとも言わない。そんな気軽に共感できない。
色々ありすぎる。わかったふりをしたくない。
しかし、重要なのは、通学している人が、これからどうなりたいかだと思う。
共感なんかしなくてもいいから、現状を把握して、何が必要かを洗い出して、必要なものを身に付けてもらい、その人がなりたいようになることを後押しして、なれた瞬間に私のことなんて忘れてしまうくらいがちょうどいい。
いわば、跳び箱の前にある踏み台になりたい。
共感という言葉を聞くたびに、排外主義的なものを感じてしまうへそ曲がりなのだ。
わかるひと仲間以外、共感できない人は、他人、という傾向は、中にいれば楽しいけれども、何らかのタイミングで外に出てしまったらつらいだろう。
私は最初からうまく中に入れないのでずっと指をくわえてみているだけなのだけど。
ということで、弊社の考え方の1/たくさん 「存在を理解するように努める」の解説でした。
久しぶりに文章書いた。だれも見ていないブログなので、今後指ならし程度に書き散らしたいと思っている。