二つの顔

友人が子どもを産んだ。
すっかり「ママ」の顔になっている。
この間まであんなに遊んでいたのにねぇ。と思う。
そういえば、母は若かったんだ、と思うことがある。
今の私の年齢のときに次女である私は世の中にいた(確か。)
そう思うと、「お母さんは昔からお母さんだと思ってた」のが、実は、きちんと「若い人だった」ってこと、よく思う。
シニア層と話していると、「母・父」としての顔と「友達」としての顔が全く違うことが解る。
私にだってそう心を開いているわけではないが、シニア同志の集まりで耳を傾けているとそれはそれは、話の内容は大学生とほとんど変わらない。特に50代なんてきゃぴきゃぴだ。キャピキャピですよ。華の女子大生の代名詞をシニア層が背中に背負っている。


ヨン様ブームのときに(今でもブーム?)どこかの週刊誌に「お世辞でも黄色い声とはいえない」と書いてあるくだりがあり、苦笑してしまったのだが、他人からは「黄色くない」でも、本人たちには「十分黄色い」のだ。
シニアビジネスの話をするときに、私と会った人なら解りますが「恋愛」キーワードは欠かせないものです。
ですが、どうしてもその話をすると純真なものではなくなってしまう。
本当はすっごい純真な、純愛系、純恋系のものなんですけどね。
おかげで私がさめてしまうほどに。「世の中もっと冷静に見ましょうよ」って(笑)
しかし、多くの若者は多くのシニア層に接することはないのと
シニア層が作るもう一つの対外的な顔の仮面に惑わされる。
上司とか、親とか、そういうのもありですけど
それ以前に「人間だもの」。ということに気づくことからシニアビジネスは始まるのだ。
シニアに妙な概念を押し付けたり、求めたりしていませんか?
シニアはあなたの未来です。等身大のシニア・シルバー層を見ていますか?