シニアと使いこなし感

某氏(70歳)のパソコンは古い。
当時最先端のSONY製を買ったという。
2002年ころに買ったというから、もう8年選手くらいか。(この言い方って古い?)
立ち上げの時ものんびりなので、電源ボタンを押してから、お手洗いに行ってお茶を用意するのだと笑う。
「自分も歳だから、このくらいでちょうどいいんだよ」
先日、パソコンが時折おかしくなるんだと、お持込になったので見てみると、ハードディスクから異音がする。
ガリガリガリガリ。
「うーん、もしかしたら、そろそろ買い替え時かもしれませんねえ。
念のため、バックアップ取っておきましょうか。」
と、言うと
「え、だって、そんなに使ってないよ!」
と仰る。使っていないとはいえ、写真は数ギガ、いろいろなゲームも入っていて、キーボードも薄くなっていて年季が入っている感じがする。
「そんなに使いこなしていないから、買い替えはまだいいよ」

すごく年季の入ったケータイを使っている某女史(69歳)。
画面が小さいのが嫌だという。
筐体は、ところどころはげている。
「そろそろ買い替え時かしら」と彼女が言う。
「買い替えてもいいかもしれませんね、今だとスマートフォンとかありますし、いろいろ選べますよ」
「でも、そんなに使いこなしてないのよね。だから、買い替えるのもね。。。」

私はいつも不思議に思う。
彼ら・彼女たちはどういう状況になったら「使いこなした!」と思うのだろうか、と。
もしかしたら、「使いこなし」後の買い替え需要というのは、壊れること以外存在しないのではないだろうか。
買い替えたのは、「買い替えたくて」買えたのではなく、今の機器などを凌駕する何かが存在するから買い替えたのだろう、と思う。
例えば、携帯電話も、いろいろ機能が付いているケータイというのは、「今の製品を使いこなしていないから買い替える気が起きない」=今の製品と比較してしまう。
しかし、これが、圧倒的に比較のラインに乗らないものだったら、「今の製品を使いこなしてなくてはいけない」脅迫感はないのではないかと、ふと思った。
そういう気持ちで臨めば、打ち出し方が変わる。
まあ、言うは易しなのだけど、心構えの問題で。