デジカメができればそれでいいのよ

賢明な皆様なら
「デジカメができるってどういう意味やねん!!!」とオツッコミになられることかと思います。
私がシニア・シルバー層に囲まれるようになって丸4年が経ちました。
最初の頃は「どういう思考回路で、そういう質問が来るのか」と悩んでいたこともしばしば。
全くワルイコトではないのですが「簡便さ」を売り出したことにより、色々な人がパソコンに挑戦するようになりました。
「やると楽しいらしい」「キットパソコンは楽しい事をしてくれる」「私は機械が好きじゃないけど、パソコンを触ってインターネットとか、イーメールとかやったら、きっと毎日が楽しくなるに違いない」


そんな中で「デジカメだけやりたいんだけど」と受付にいらした方がいる。
「パソコンも一応持っているんだけどね、使っていなくて、とにかくデジカメだけがしたいの。あとはメールで添付?」(なぜか語尾上げ)
メールで添付となるとかなりパソコンの事がわかっていないといけない。
この、かなり、というのは、「パソコンは指図しなくちゃ動かないという事をわかる」というレベルなのですが。
「私写真が好きでね」と目の前に並べられるSDカードの山。
「でも、結構このフィルムって高いのよね。パソコンにつなぐだけって言うから買ったのに」
「うーんうーん、であれば、できればパソコンの基礎をちょこっと勉強しましょうか」
「いやよ、デジカメだけができればいいのよ」
いつの間に、カメラは「できるもの」になってしまったのだろうか。
多分、お友達との話で「デジカメっておもしろいわよ」という話になったのだろう
だから、構造を知らなくても(「デジカメって電源があるのね!」)やってみたいと思うのだ。
彼らにとって、デジカメやパソコンは「何かをするためのツール」というよりも、「きっと何かができる道具」という定義なのだろう。
選択基準が変わっている。驚く事が増える。(多分、パソコンを使いこなしている50代の方などは奥さんのあまりの見当違いな質問に、4,5回は怒った覚えがあるだろう)
説明書が読めない原因はそこにあるのかも知れない。
シニアに説明する場合は、その人がパソコンやデジカメについてイメージしやすいようにすることが必要なのだ。
解らない人の気持ちを少し考慮する事。それだけで説明書は生きてくる。
ということで、トラックバーック!