マニュアルの意義

マニュアルについて考えてみる。
先日「うちのテキストはオリジナルです」と書いたのだが、実はひとつだけウソがあり
ひとつだけ市販のテキストを使っている。
本当はオリジナルもあるのだが、私の中でそれがすごく気に入っていないので採用していない。
作ったのも自分、気に入らないのも自分。


そのテキストなのだが、シニア・シルバー層に非常に評判が悪い。
そのテキストをし始めるとやめてしまう人が多い。
オリジナルテキストを作ったことがある人なら、テキスト一つにエンターテイメントを含ませる事の難しさ(つまり、やっていて楽しい!これなら私にも使えると想像させる事をできるようなテキストを作ることの難しさは良く解るかと思います。
その、市販のテキストは残念ながらシニア向きではない。いわんやシルバーをや。
ただのマニュアルっぽいテキストになってしまい、自分で創り上げる楽しさがない。
皆無とは言わないが、そこから起想できない。
マニュアルはどこまでマニュアルたるべきなのだろうか。
できることが変わればニーズがかわる。
人に使っているシーンを想像させるマニュアルはないものかしら。
デジタルカメラのデータを見ていると
「説明書を読んでも、いつ、どこで使えばいいのかまーったくわからないから、使っていても解らない」という声が多い。
説明書に何を求めていて、説明書はそのニーズにどうやって応えればいいのだろう?