人間の可能性

随分前、母校の中学に講演、というか話しに行ったのですが、たまーに私も偉そうにしゃべるわけですよ。「自分を信じるべし」とか話すのです。
で、いつも話すのが私が高校を辞めたときのこと。
うちの中学で高校を中退する子は年間1人いるかどうか。殆どの子達は、当たり前のように高校に行く。
高校を辞めた、という話をすると全員が目を丸くする。フリョーには見えない私が「高校を辞める」人には見えないという点で。(そういう意味では母校は世界が狭いかもしれない。まぁ、それは広くても狭くても良いワケですけど。ちなみに、高校2年で大検とって大学は普通に行きました。まっとうな人生です。)
「でもね」と、私は偉そうに続ける。「高校辞めたらなーんにもできないって思うでしょ。そんなことないよ。人間の可能性は死ぬまであるんだからね。」と話す。「うちには86歳の人まで通ってますよ。普通にエクセルで計算してますよ。メールもインターネットも普通ですよ。特別に頭のいい人じゃない、だけど、気合と根性と継続で周りの人がぼけはじめたなか、彼女は元気ですよ。」
そう、私は「学ぶこと」ほど素敵なことはないと思っている。学ぶことは疲れることだ。新しい世界を垣間見ることは大変なこと。それでもそれ以上の見返りが学ぶことによってもたらされる。
新しいことを学んだおかげで、今まで見逃していたものを美しく、いとおしく思える、いままで気づかなかったことに気づく、出会えなかったものに出会える。そういうのって素敵じゃないですか。人間、つらくったってーかなしくったってー 学ぶことをとめてはいけないと思うわけです。恋と学びは死ぬまで。


しかーーーーーーーーーーーーーーーし!
今日お会いした某70歳近い方。シニアビジネス商材を当社に持ち込まれたのだ。
「大体シニアにパソコンなんて必要ないんですよ。僕も嫌いだし。ワードとか、エクセルとかってやってどうすんの?」「勉強をするなら僕はパソコンなんてやんないよ、っていう管理職多いよ。」
そんな甘えはシニアのためにはならない!と思った。
周りにいたうちの生徒さんたちも「そんなことはない!」という顔をして私を見る。
当社の基本方針は、ばーちゃんだろうがじーさんだろうが、容赦しません。
学ぶことから「自分で得ないとしょうがない」んだし、そういう姿を見て私の年代のような孫とかが「うちのばーさん、じーさんすごいんだ」と自慢に思って欲しいから。学ぶことってすごいことだから。
なんだろうな、結局今日お会いした方もパソコンの楽しさを知らずに、すごく自分の範囲を狭めているように感じたし、カッコイイとは全く思わなかった。
別にパソコンなんて知らなくても生きていける。そう思う。
でも、先日久しぶりにお会いしたTさんが「僕、パソコンなんて嫌いだと思っていたけど、この間1週間壊れたらすごい困ったよ」とか、Oさんの「無いと不便よね。どこにいくにも」そういう、イマドキの新時代のシニア・シルバー層には最高のお遊び道具だと思う。
うちがシニア/シルバー層対象と聞いて「もりさんのところのおじいちゃん、おばあちゃん」とする言い方をされますが、「おじいちゃん、おばあちゃん」なんて生可愛いもんじゃありません。こちらだって皆さんに対応するのに120%で過ごしています。それって、「高齢者の方々は弱視になって」なんてかわいらしいことを仰っているのはあまりにも机上の理論、というか、多くの高齢者に会ってないというか、5,6人会って「そういうもんだ」と思い込んでいるようにしか見えない。元気な、いわゆる「アクティブシニア・シルバー」な人たちに対応したらそんなもんじゃないです。本当に。ということで、当社の方針は、高齢者だろうがなんだろうが、人生の先輩として甘やかすことはなく、全員が精一杯楽しめるように、庇護とかの関係じゃなく、共生していくために、気合を入れていきたいと考えております。これが本日の朝の感想でした。