ユーザーはどこに居る?
うちをインターネットで調べたTさん(54歳)。
本日入会がてら、私と2時間もおしゃべりをしていた(笑)面白かった-。
うちをご自分でインターネットで調べるくらいなので、当たり前のようにインターネットができる。
「でもね、なんだかよく解らないのよ。インターネットもパソコンも。なんとなく、もやもやしているの。納得できないのよね。インターネットとか、言葉も全然わからないし」
そういう人、多い。
Tさんは情報を探して、買い物も年に2回するそうだ。インターネットで。
「やんないと忘れちゃうからね」
「でもさー。インターネットで買うのって怖くない?」
「慣れちゃえば、どうってことないんですけどねー。」と私。
「でも、今、前よりインターネット難しくなってない?」とTさん。
前は言葉を入れて検索すると直ぐに目的のものが出てきたのに最近はさ、個人の日記とかよくわからない広告とかそういうものばかりじゃない。インターネットがどんどん難しくなってるんだよね」
ソノ言葉に少し驚いた。
パソコンは(異論はたくさんありましょうが)優しくなっている。マニュアル車からオートマ車くらい、簡単になっている。まぁ。そのオートマ車で直進専門の私に「やさしいよね、オートマって」とオートマ車も言われたくないでしょうが。(自慢できない)
インターネットが難しくなってるか。
確かにブログの台頭、リスティング広告により検索結果はユーザーの声が反映されづらくなっている。昨日素敵な方々と話していたのですが、ユーザーを見ているかどうか、ってことなのですよ。見てる見てる、僕はお客様中心でーす。といいつつ、やっていることが伴わない。中途半端に優しい人みたいだ。それも八方美人に。
いつも不思議に思うのだが「今月も売上No.1」ということを書く店がある。私は個人的にそういう店は好きではない。お客様は、あなたが一番であろうがなかろうがどうでもいい。自分にとってメリットを提示してくれてるの?
「僕は僕は」提案しているフリだけで相手のことなんてこれっぽっちも聞いてない。
うちのシニア層に教え方マニュアルでは相手に伝わる言葉とは、というのが書いてあるのだが、それくらい、ユーザーに言葉と想いを伝えるのって大変ってことだ。
そして、どんどんお客様は神様になっている。
神様って、(宗教論ではなく)私たちの心の中にいて実態がつかめないじゃないですか。どういうことを考えてどういう消費行動をしてどういうクラスタにいて、ウェブを見たときにどうしているかなんて誰も考えないですよね。でも、心の中に神様が居る。思わず、「ありがとう」って呟いちゃう。
お客様は神様です、っていうのはそんな感じ。私は神様をよく知らないし、それでも、なんだかいつもそこにいてくれるような気がする。
「あなた方は世の光である、地の塩である。」(マタイの福音書)
結論は方向性が違うが(解釈の云々はお許しを。)光は大切、塩も大切、なのに、イエズス様の言葉に大きくうなづいてやはり光は足元に、塩は壺の中に居る。解りづらくてごめんなさい。
お客様お客様といいつつ、神様を相手にしている。
だから、「気づいたらそこに居る」ユーザーのことを忘れつつある。
口先だけのユーザーなんて要らない。きちんと、ユーザーのこと、消費者のこと、一般とかっていわれちゃう買ってる人、使っている人のこと、目に入ってます?
そんなことを、今日Tさんとすっごい盛り上がりながら、思ったのである。
でもやっぱり54歳は若い!