4月になっていた


気づいたら、4月である。
気づいたら、桜は散っていた。
決して、眠り姫のごとく寝ていたわけではなく、
なにかとバタバタしていた。
なにか特徴的なことがあったわけではないが、
気づくと4月になっていた。
そして、このブログの存在を思い出したわけである。

まあ、誰も見ていないだろう、だから、好き勝手書けばいいじゃないか、と思い始めた。

どうも、人というのは、「見られている」感覚が強いような気がする。

だから、「恥ずかしい」と思うのだ。
「そんな恰好で恥ずかしい」
「そんな発言で恥ずかしい」

確かに、見られているし、今では何かあるとすぐに炎上する。

一方で、人は人を慰める。
「君のことなんて、特に誰も気にしていないよ。」と。

確かに、すれ違った人、洋服に気合が入っていたかもしれないけれども、気づかない。

そのまた一方で
電車の中で、靴が片方ずつ違ったり
裏表着ている人がいると、思わず目を引く。

本人は見られているなんて気づかないし、
そこを気にされているなんて気づかないだろうし
たぶん、気にしているところはもっと別だ(例えば、まつげがクルンとなっているかとか)

だから、どうして恥ずかしいと思うのか、
この人はどこまで人目を気にして
どこからは気にしないで
だけど、人からは気になるみたいな4象限で考えながら
人を見ている時間が幸せである。
そんな4月を迎えた。

そろそろ当社も15周年を迎える。
色々あったのか、色々なかったかもしれないが
15年間過ごしてきたという事実は、事実である。

これからも、いろいろあるだろう。
多くの方に指導されて、ようやくここまで来た感じだ。
たくさんの方の支えがあって、歩み続けることができた。

心の底から、感謝と共に、4月を駆け抜ける。