ユーザーの普通
私は、一ユーザーとして、ユーザーが大好きである。
ユーザー、という言い方はおかしいな、
利用者であり、人である。
色々な人がいるから、毎日人に会うだけでとても楽しい。
ユーザーのそばにいないと
ユーザーのことなんてわからない。
というのが、私の信条である。
ユーザーテストをやっていても、いつだって新しい発見があるのは
ユーザーがそばにいるから。
ユーザーの行動にしか答えがないから
あまり、「一般的に」という言葉は使わない。
時折、「ニュースで流れていて」「テレビで見て」
今、この年代にはこれが流行っているとか人に言われるが
なんとなく、言葉にリアルさがないなぁーと思う。
まあ、ニュースで取り上げられて人気が出るということはありますが。
ニュースで、テレビで、というのは、
なんとなく、人間がそこにいるのが感じられない。
データを信じるのもいいが、
そこにリアル感を肉付けするのは、実際のユーザーである。
しかし、ずーっとユーザーの近くにいると
疲れが少しずつたまっていくのも本音なのである。
なんでだろう。
少し疲れてぐったりした後に、
自分なりに出した答えは
「ユーザーの<普通>に振り回されるから」
でないかと思った。
数少なくない人が、データで人を見るように、
多くの人は、自分と自分の友達で「普通/一般的」を判断する。
周りが韓国ドラマを見ている人が多ければ
「今、世の中的に韓国ドラマが流行っている」という判断になる。
自分だけパソコンを使えていて、みんなは大したことがないと思っていれば
「多くの高齢者がパソコンを使えない」と判断をする。
友達みんながそこそこ使えるようであれば
「いまどき、中高年でもほとんどの人が使えるでしょ」となる。
しかし、たくさんの人に話を聞くと
世の中は韓国ドラマに一日張り付いている人だけじゃないし
高齢者は使えている人は増えているし(使えない一定層はいるし)
中高年も、パソコンを使わせてみると、メールで返信しかできないとか
そんなの良くある話だ。
たくさんの人が、たくさんの「ふつう」のなかで生きている。
それを押し付けられると、私は疲れてへたーっとなってしまうのだ。
「ふつう」圧力に弱いのである。
(反論をしても意味がないし、普通の範囲が狭いことを話すものあまり生産的ではないので、黙ってしまうため。)
私が女子高生だったころ
(記憶のなかではつい最近。でも実際はかなり前)
コギャルとかいう言葉が流行りだして(私よりちょいと遅いか)
確かに、渋谷にはコギャルだらけだった気もするが、
そうじゃない世の中もあるよなーと思っていた。
「女子高生の多くがコギャルである」という報道を横目に
おっさんたちとジャイアンツを追っかけていた
浮いている人間である。
(そもそも女子高生をドロップアウトしてるので超浮きまくりであるが、コギャル以外の友達もたくさんいた。)
確かに、サッカーファンは多かったし(Jリーグができたあたり)
多くの友達がミサンガ(懐かしい!!)をしていた。
女子高生が野球好きというのであれば、巨人ファンよりもヤクルトファンだった時代である。
そして、みんなが「いまどきはサッカーでしょ」「ヤクルトでしょ」「古田でしょ」「B’zでしょ」「Xでしょ」と言っているのを聞きながら、アメリカにホームステイして「日本にはジャイアンツという世界一素晴らしくて強い球団がある。日本は野球大国なのだ」と適当なことを言って帰ってきた。適当すぎる。すみません。
つまり、世の中の流れを感じるためには
データだけでも、
今であった人間がその世代をすべて代表するんだとも
思ってはいけないんだと思う。
ただし、サービス提供者としては、
その中で、どの層を狙うのか、
その層は、世代のなかでどういう立ち位置なのか
どういう情報に接して
どういう言葉をしゃべって
何を普通と思っているのか
ということを、数字と肌で感じなくちゃいけないんだと思う。
ユーザーの「ふつう」に惑わされない。
ユーザーが「普通はさ」「私の周りみんな」という言葉を信じない。
ユーザー本人の行動しか見ない。
そして、ユーザーの「ふつう」を知り、客観的に観察するのが重要だ。