ニュースは人が作る、ということ。
8月の終わり、日経新聞の夕刊に弊社運営パソコン教室が掲載された。
「スマートフォン、シニアも夢中」である。
民主党代表戦の中、3版までは写真付きで掲載された。(ありがとうございます)
12月にスマートフォン講座を開講して以来、じわじわ受講する人は増えている。
が、まだ弊社のなかでは主流ではない。
展示用のiPhoneをさわり、楽しそうにしているものの、「こういうのは使いこなせそうもないのよね、今の携帯だって使いこなしていないのに!」と使いこなせないの魔法を発する人もいる。
記事は真実。だけど、すべてではない。
全員が使っていたらニュースにならない。
火がつく先っぽにいるから、ニュースなんだと思う。
記事はいろいろ聞いてくださった中のエッセンスが詰まっており、さすがプロ、というまとめ方だった。
が、やはり「ニュース」である。
一般ではない。じわじわの気配である。
実際、記事が出てからじわじわ問い合わせが増えている。
「僕も始めたいので教えてほしい」という問い合わせが。
そんな中、とあるメディアから電話があった。
「最近、シニアの方がスマートフォンの利用増えているって記事を読みましたが、どういう利用方法をしようとしているんですか」等など。
とても感じのいい方で、お応えできる限りお答えしたのですが、日経の記事を読んで、ニュースにしようかなと思ったという話だった。(正確には「日経をご覧になりました?」と聞いて「ハイ」と回答を頂いたのだが)
それはなんか違和感だった。
情報源に取材してニュースになる。
そのニュースを基にして、ニュースを作る。
それを見て、世の中は「これがトレンドか」と思う。
所謂「ソースは新聞な!」である。
あー、ニュースって、人が作るんだな、
作ったモノしかニュースにならない、そんな当たり前のことをしみじみ感じた。
現場から離れれば離れるほどリアル感は薄まる。
その薄まった中に「一般向けニュース」が出来上がっていく。
そして、それが「ふつう」になる。
だから、メディアを見て、それがシニアの姿だと思ってはいけない。
全体枠を見るのも大切だけど、ニュースになった姿がシニアを代表していると思ってはいけない。
すべてはユーザーのなかにある。
記事で「最近」を語ったらダメだなって思った。
すべてのリアルに接せなくても、多くの「リアル」に接しよう、という気持ちと、その行動を忘れちゃいけない。
1名のリアルですべてを語るのはちょっとなあ、と思うけども、接しないよりはいいし、1人接したらほかの人もいるかもと、いろいろなところに探求しに行くのがいいと思う。
#私も自分が知らない世代はよくメディアで「いまどきの・・・」と語ってしまうことがあるが、できる限り気を付けようって思った。ほんとに。
#ちなみに、11月に別件で少し放映されるかもしれないし、されないかもしれない。さらに、このメディアのご担当の方、とても丁寧でいい方でした。ただ、違和感があっただけで。