年はいつとるの?
先日、小学校1年生に「おばちゃん」と声をかけられた。
マンガだったら45センチは軽く飛び上るほどびっくりした。
たぶん、私が目をひんむいたので、小学生も驚いていた。
私はいつ、「おばちゃん」になったんだろう?
気づいたら、昔、軟体動物のように柔らかかった体は、とても硬くなっている。恥ずかしながら、前屈しても手が床に届かない。(もしかしたら、足が長くなったのかもと自分を慰めることにしているけど)
そう、人は徐々に年を取る。
甥っ子に「ね、わたしはおねーさんだよね。」と聞くと、「そうだよ、お姉さんだよ」と返してくれるものの、それを人は「言わせている」という。そうじゃない気もするが、そうかも知れない。(現実逃避)
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弊社の運営するパソコン教室は9月から12月が年賀状作成のための超繁忙期なのであるが、昨年の年賀状以来1年ぶり(正確にはもう少し短いけど)に帰っていらっしゃる方も多い。
(あ~、○○さん、年取ったなあ)
と思う。
#もちろん、私は自称大人なので「相変わらずお若いですね!」と言いますが。
何が年を取った証拠なのか、と言われると、具体的に表現する事ができない。
が、たとえば理解力であったり、画面を一読できる力であったり、「次へ」をクリック出来る応用力であったり、少しずつ、衰えている。
「毎日パソコンを触っているんだよ」と67歳のN氏は言う。
「でも、必要な事しかやらないから、他の事をやろうとした時に忘れているんだよね」
できることをやれれば、それでいいのかといえば、できることしかできなくなる。これは若くても当然。
さらに年齢を加えれば、「もしかしたら出来なくなっている事をするのが面倒」になる。
「まあいいや、昔やったから、きっと今も出来るだろう」と、若い頃に出来た事を過信して、やらないうちにできなくなる。
どうでもいい話だが、私は高校時代にちょっとだけ合気道をやっていた。
色々コネを使って、かなりご高名な先生に(もう今はお亡くなりになりましたが)習ったのだが、1年間受け身ばかりやっていた。いいことだ。
大学に入って、合気道の稽古と授業が重なり、足が遠ざかった。
先日、ちょっと受け身の練習を家でしてみたら、酷かった。受け身とかじゃない。倒れる物体だ。それもコロリンじゃなくて、ドタッ。「あの頃一杯やったから、出来ると思ったらやはり年をとると出来ないもんなんだ」と深く認識した。
その「あの頃」のスパンが年をとればとるほど短くなる。
いつ年を取ったのかな、ではなくて、毎日、年をとっているんだ。
が、多くの人は、解っていても、理解しない。勿論自分も含めて。(だから、コンビニで30歳代のボタンを押されているなあとたまに見ると落ち込むのだ。)
やれることばかりやっていたのでは、年を取った時に、やれることが少なくなって、さらに、過去の思い出に浸って現実逃避をしているように見える。
やれないかも、と思う事を少しずつ、若いうちから挑戦する気持ちを持ち続けて実行していれば、年をとっても、なんとなく、挑戦する気持ちを楽しめるんじゃないかなあと、今日思った。