愛があれば歳の差なんて
当社の有するPC教室では7月より区のIT講習会を請け負っている。
倍率もすごかったが、まあシニア層の元気な事。
日々、吸われる毎日なのである。
さて、「パソコン入門講座」というものがある。
倍率4倍くらいだっただろうか。
クラスAは比較的若い50歳代前後が揃ったコース。
クラスBは65歳前後が揃ったコース。
クラスCは70歳前後が揃ったコース。
いらしたかたは皆一様に口を揃えておっしゃる。
「パソコン、全く初めてで。」
「主人は持っているんだけど私は持っていない、触った事もない」
「いい加減に覚えないとだめかも。」
つまり、スタートラインは一緒である。違うのは年齢だけ。
同じ教科書を使って、同じように説明をする。少し実験的要素も含んでいる。
まずはマウスの使い方。
とあーるソフトを利用してマウス練習をし、その後にスパイダソリティアをしていただく。
若い奥様軍団は指に力を入れるということがゲームを通して分る。その力配分が得られる。
シニア軍団はマウスを握る親指と薬指、小指に力が入る。そして人差し指と中指が浮く。
だから、ポイントが上手くできない。軽く握りましょう、の指示もゲームをやっている最中に忘れられる。
さらに応用力。
たとえば若い奥様軍団は1回間違えて指示すると「うん、なんとなく解る。」
これが、シニア軍団になると応用が利かない。
例えば変換一つとっても「こうなります、だから同じケースでこの場合にもこうなります」というと若い奥様方は「いやだわ、最近頭使っていないからなかなか頭に入らない!」と大騒ぎをしながら(キャピキャピ)自ら応用を生み出そうとする。
しかし、シニア軍団は「そうなんだー!すごーい!」と感嘆するのに、次に同じ問題がでてもできない。応用が利かないというよりは新しい情報が一つ入ると古い事をその場で忘れる。新しい恋をしたら昔の恋は過去のこと。(そういうひとにわたしはなりたい。笑)
これはシニアであることを攻めているわけではなく、ウェブサイトやソフトを作るときに応用が利かない、ということをきちんと留意する必要があるということを言っているのです。
もひとつ、吸収力、その場の判断力が落ちる
たとえば、「あい、と入力しましょう。愛は地球を変えるの愛です。」という一言、若い軍団は何も言わずに全員「AI」と入力した。シニア軍団はそれまで散々文字入力の話しをしていたのに、半分が「I」と入力した。新しいもの、その場の吸収力がぐんと落ちる。つまり広告で新しい事をだしても、その近くに古い事があったらそれしか覚えてもらえないってこと。
そして目に関すること。
若い奥様軍団は「老眼がはじまっちゃったのよ!見えないわ!」と大騒ぎをしながらゲームをする。(キャピキャピ)
シニア軍団は「すっかり老眼なのよね」と仰りながら多少顔を画面に近づける。なので、目の前のものしか見えない。ゲームをしていても端っこはたいてい忘れられる。「あら!こんなところにあったなんて!やだわー。私目の前のものしか見えないの。」
さらに、文字の羅列に弱い。文字を2行ぐらい読んでいるとほわーとしてくるみたいだ。
もういっちょ、心に関すること。
予期しない行動に弱い。ああ、できないな、と諦めがついたり、出来ることに対してそればかりをやり続ける傾向も見える。
終わったあと、「楽しかったー!」「難しいけど、頑張れそうな気がする」と皆さんが仰ってくださる。
「パソコンを愛して下さいね」と〆る。愛があれば歳の差なんて、どうにかなるんじゃないか、焦らなければ。というオチ。ああ、全くつまらなくて泣けてくる。落ちてないし。このオチにいくまでに頑張ったのに。。。
おまけ。雑感。
「私、ぜんぜん勉強してないから、本当に頭固くて」と仰る人がいる。
確かに、勉強している人と勉強していない人の頭の柔らかさは違う。
頭は使わないとやわらかくならない。そして、頭を使うことはとても疲れるので、多くの人は頭を使っているフリをする。子どもみたいにいろいろ不思議に思って、いろいろなことを試してみたいと思う。子どもみたいといわれることを恐れてはいけない。
頭は若いうちに使ったほうがいい。ほんとうに、そう思う。