その価値は、どこにある?

「まみこさん、近視の手術30万だって。それでメガネがはずせるなら安いと思わない?まみこさんに是非紹介しようと思って。本当に治るらしいわよ」
と、パンフレットを持ってきたTさん。
シニアの口コミ力がすごいのは、若者のように「いいよ~♪」とのほほんと綿毛のようにいくんじゃなくって、「いいから、あなた、絶対にお薦めよ、っていうか、私のお薦めなんだからいいのよ本当に、さぁ悩む暇などないでしょ、早く行きましょうよ」とやたら強引なのがすごいのだ。
そう、そうして、Tさんは私の手元にパンフレットを強引に渡した。
ちなみに、ご存知の方も多いが(写真もあるし)私はめがねっこである。そして、ハリーポッターに似ている。(もちろん主人公)メガネが嫌いじゃない。しかし、彼女は続ける
「だって、もったいないわよ、めがねが無いほうがきれいだと思うし、そっちのほうがもてるわよ」
なるほど、メガネを朝探すのが面倒くさくなくなるわよ、じゃなくて「もてるわよ」と。(ちなみに、彼女は60代後半。)


人の価値の感じ方はそれぞれである。
私の周りのフユソナ★シスターズ(フユソナを見ている人たち)は第1次軍団として、本当にフユソナが好きな人、第2次軍団としてフユソナを見ていることを認めてもらいたい人。というのがある。
例えば、健康を一つとってもそうだ。
自分のために健康になりたいんじゃない。(勿論、健康になりたいが)
人と遊ぶために健康になる、という考え方や、「若く見られたい」というよりも「同窓会に出たときに自分が若いと自分自身で感じる」ために健康で若々しくありたい、とか。
物事の価値は、当たり前だけど1元的じゃない。
通常若い方のマーケティング分析をされている方なら多次元な分析はいくらでもされているのに、シニア層に限っては、「若さ」「健康」「コミュニティ」にこだわってしまうのって なんでだろう~♪(古い)
本を読んで、「なるほど」と思っても、それは脊髄に到達していない。
シニアは決して特別じゃない。
私たち若者の2歩、3歩、先を行っているだけなのだ。
特に、イマドキのオトナは。
昔ながらのオトナといわれるオトナ(大人です)は、多分、皆様の想像にマッチするのだろう。巣鴨とかいるのだろう。
イマドキのオトナは、巣鴨にいる大人を見るためにスガモに遊びに行くような人たちなのだ。
もし、ターゲットとしている市場がアクティブシニアなら、もっと近い目線で考えて欲しい。2次元の大人じゃなくて、三次元の先輩の人間として、市場を捉えて欲しい。
でも、私は今のところ、目の手術を受けるつもりはありません。めがね買い替えたばかりなので♪