若者のパソコン離れ
何でもかんでも離れてしまう世の中になったなあ(棒読み)
若者の車離れ、がよく言われる。
かくいう私も、運転が下手すぎて、日本の平和を守るために
運転をしないでいる。
しかし、そういう話ではない。
最近、弊社に応募する学生アルバイト生のスキルが何となく変わってきている。
昔は、パソコンが好きで好きでたまらない人が応募していたのが
(もちろんそうでない人もたくさんいたが、好きでたまらない人もいた)
最近は、そうではない。
パソコンは手段だから、と言われたら、その通りである。
しかし、パソコン好きとしては
新しいフリーソフト試したり、増強したり、箱あけてわくわくしたり、
少しでも早くしようとレジストリいじったり
色々なことができる楽しさ、作る楽しさ、知る楽しさ、壊す楽しさがあると思っている。
まあ、その楽しさは人それぞれだからなんでもいい。
昔は、そういう私と同じ楽しさを感じる学生がたくさんいた。
しかし、最近は少ない。
話を車に戻す。
昔、すっごい車好きのおじさんと話していた。
その人はエンジン替えたり(?)ドア替えたり(?)
車のカスタマイズ(?)がとても楽しいらしい。
車が大好きで、ヤフオクで車のパーツ(?)を買っているとのこと。
(?)が多いのは、まったく私が理解できていないので、合っているかどうかわからないためである。
私なんぞは、車は走ればいい、エンジンとかよく解らない。
その話と、パソコンの話、
実は「製品の完成度による消費者の無関心」という共通点があるんじゃないかな。
今は、パソコンも車も「手段」であり
利用者はそこに「自分で進まなくちゃいけない」感がある。
昔は、パソコンも車も「カスタマイズ楽しいw」人もいて
その人たちがいろいろ引っ張ってきた気がする。
うーん、何が言いたいか。
つまり、
現在の完成品は「モノ」に対するワクワク感、発掘感が少なくなっていて
楽しむための努力(コンテンツ的なサムシング)は自分で開発しなくてはいけない。
だから、最低限でいい。
できればいい。
その製品が不完全だった時代は
それをいじることに熱中していて、他の人よりもより完成に近いモノを求めて自慢しあう。
だから、だから、
若者の車離れとかって
車が楽しくないんじゃなくて、
製品が成熟しているがゆえに
楽しみをモノに見いだせないんじゃないかなって思う。
成熟市場と言われるが
物が余っているんじゃなくて
完成品が多すぎるだけなんじゃないかと。
と、ふと。