使わなければ忘れて当然

私は、覚えるという行為が、とてもとてもとても苦手だ。
苦手というより、そもそも覚える気がない。

たまたま記憶に残ったらラッキー、
最近頑張って覚えたのは、ぞうさんの名前ぐらいだ。
あとは、記憶に残っただけのもの。

なぜ覚えようとしないのか。
それは、覚えて忘れて自分を責めるのが嫌だからなのだ。
保身だ。変な保身だ。でも、私は、ものすごく筋が通っていると思っているが。
忘れた時に落ち込まないようにするためには、覚えなければいい。

何百回も繰り返せば、覚えようとしなくても、勝手にできるようになる。
私は、それを待っている。

1-0.25は覚えるべきか

0.75だ。たぶん、右手どっち?と言われるよりも早く、答えられる。
なぜならば、それは、覚えているというよりは、繰り返し、繰り返し答えてきたからだ。0.25の裏には0.75が見える。そんな感じなのだ。

今日お客様に上記のことを聞かれた。

覚える必要はない。覚えようと思わなくてもいい。
ただし、息を吸って吐くのと同じくらい当たり前になってほしい、と答えた。

使わなければ覚えたものは忘れる。
忘れたことを悔しがるならば、覚えなければいい。
さもなくば、叩き込む。

マウスが使えない

久しぶりにマウスの使い方を教えた。
シニアではない。私と同じくらいの女性に、だ。

「マウスなんてここ何年も使ってなくって」
と、マウスを持った右手は、マイク握りだった。結構新鮮。

「うちのノートはマウスがないし、もうスマホばかりだし、マウスって変な感覚。転職してマウス使えって言われたら結構戸惑うかも。」

と彼女。新鮮。

「ボタンのどれを押せばいいのかわからない」

10年前、そんなに使わないでいて、10年間マウスを使っていなければ、マウスの使い方など忘れて当然。(でも、マウスの持ち方を教えたのは数年ぶりかも。新鮮)

で、今日もただの驚いたこと日記になってしまったが、忘れることを前提に生きる、それでいいのである。忘れてしまったことは、再度思い出せばいい。鎌倉幕府が始まった年号が変わるなど、せっかく覚えたものが無駄ではないが、教養ではなくなることもある。卑弥呼の墓だってどこにあるかわからない。

覚えたことは無駄ではない。

しかし、覚えたことは、忘れる。だからこそ、思い出すことを楽しめる。

忘れることを恐れない。覚えていないことを責めない。

それで、いいんだと思うんだけどな。