少数派は「変わっている人」ではない
「変わっている人ですね」という言葉に対して、違和感を感じる。
同様に、「私、変わってると言われます」とか「私変わってます」もものすごく違和感を感じる。
「変わっているとは、つまりどういうことを言うのでしょうか」と問うと
「考え方とか、そういうことを聞き返すところとか」と返される。
その違和感についてずっと考えているうちに、
一般的に「変わっている」=「自分と違う」または「少数派」と認識しているしているのではないかと思うようになった。
私の周りで、「この人はすごい」と思う、所謂「一般的には変わっていると思われる」だろう人たちは、変わっているというよりも、自分の信念に基づいてまっすぐ進んでいるだけである。周りから見たら、それは変わっているように見えるが、本人は全くそう思っていない。
反対に、「自分は変わっていることをやっている」という人は、他人の目ばかり気にしていて、結局、「変わっている」の中央値周辺にいるような気がしてならない。「変わっていると思われる自分が変わっている」のであり、特に尖っていない。
「変わっている」という定義があいまいな言葉を人の評価に使うときには気を付けようと日々思っている。