難しいのはイヤよ

シニア向けの教室をずっとやっているとしょっちゅう聞かれる言葉「難しいのはイヤよ。」だが、この言葉が出たら要注意である。
潜在的に「今からやることは難しい」と思い込んでしまっているため、3過程以上あるとパニックになる。
「やっぱり難しいじゃない!マミコさんはできるからいいのよ」
これが慣れないスタッフだと「え、でも、これをこうしてこうするだけじゃないですか、簡単ですよ」と言ってしまう。それが火に油、とんびに油揚げ(あれ?)。
「あなたたちできる人は簡単に言うのよ。私たちみたいなオバサンにとってはこういうのって難しいのに、そういうのを若い子は解ってくれない」そして、話はだいぶずれて世代の溝みたいな話まで言ってしまう。勿論、私は助けないで横で笑ってるだけなのですが(鬼)
これは別にパソコンが使えない人だけの話ではない。パソコンが使える人のほうがその台詞が多い。
いつもいつも「同じこと」をしているために新しいことに対する許容ができなくなるのだ。
つまり、Aバンクを毎日使っている人はBバンクの画面に行った瞬間にパニックを起こし、「Aバンクのほうが使いやすかった」という。そういうものである。
バリバリパソコンを使いこなしていると思っている人ほど、実はそんなことなくて、いつも同じ操作で日常は過ぎてしまうので応用力が聞かない。特に年をとると本当に応用力が効かない。見目麗しかろうが、若く見えようが、頭の中身は多くの人はウソを付けない。こう断言するとお友達のおじさんたちからいやあな顔をされるのだが、そうなのだ。本当に。
例えば、先日使える人を対象にユーザーテストをしたが、結局タスクは遂行できず「私こんなサイト見ないわ。いいじゃない、量販店に行けば。百貨店とかに行っちゃったほうが楽じゃない!」と捨て台詞を吐かれた。山奥までヒロに行かなくちゃ行けないかと一瞬目に涙が浮かんだほどだ。
団塊世代は使えますよーとか、「イマドキパソコン使えますよー」とか、多くの人が仰いますが、いつもと同じこと以外のサイトはナカナカ見づらいのである。実際問題、使えないのである。
あなたが「いつものサイト」であればいいが、多くのいつものサイトはYahoo!だったり、「使えてる」という人であればGoogleだったりするわけで、真似のしようがない。
本当に単純なことも、言葉一つで難しく感じられる。
「万事塞翁が馬」といわれるより「人生らっくありゃくもあるさぁぁ」と歌ってくれたほうが解りやすいのと一緒である。
若い人が「このくらい」と思っていることがシニア層に対してはすごいプレッシャーだったりする。
「わたしできるわよ」と思っている人が使えないサイトに出会ったときに嫌悪感はすごい。
「この会社、だめね」までなってしまう。プライドとはそういうものなのかもしれない。「だから株がさがるのよ」とか「だから先日の不祥事が」とか「売上が」とか、全然関係ないところまで飛び火してしまうのだ。「そういえばここに就職した近所の○○ちゃんは子供のころ・・・」とかである。
とにかく、「難しい」と感じさせないこと。
だからといってキャラクターとかなくていいので、どこをクリックすればよいのか、それさえ解れば第一関門は突破なのだ。あとは、別ウィンドウは止めようとか、そういう細かいことである。
玄関を開けてもらうこと。
シニア層は若者ほど忍耐強くない。よっぽどそのサイトに愛着があったり、向学心があったり、そのサイトがものすごくお得だという結果がわかりやすく明示されていたり、予備知識として知っていたり、そういうことがない限りは。