頑固になるということ
「年を取って頑固になった」
「年を取って丸くなった」
どちらもよく聞くフレーズだが、意味は正反対も正反対。一体どちらなのだろうかと、悩んでしまう。
多くのシニアを見てきて、年を取って丸くなるのは40代から60歳代前半までではないかと思っている。
年を取ることで、怒ったり、興奮したりするエネルギーが減ってきているのではないだろうか。
一方の、年を取って頑固になった、について。
これは、思うことが多い。そこで、年寄り特有の頑固さ、は、何から出てくるのだろうとずっと考えていた。
頑固ではない人と、頑固な人の差はなんだろう。
(自己申告で頑固だという人もいるし、そうでない人もいるが、今回はあくまでも私の目で見た客観的な判断で)
仮説として、会社員時代、または、他人とのコミュニケーションがあった時代に、どれだけ異文化・異分野など、自分と異なる人間と会えたかどうかが、シニアになったときの頭の柔らかさを決めるのではないか。
頑固、というのは、自分の物差しで他人や世間を図ろうとする人である。
その物差し自体が、正しいスケールじゃないとしても、頑としてそれ以外の手段を譲らない人を、私は頑固だと思っている。
大人になって頑固になるのは、自分の経験で物事を図ろうとするからだ。
つまり、自分の知らない・見たことがない世界は存在しないことを前提に人と接するので、頑固だと思われるのではないだろうか。
知らない世界は存在しない、だから、「あるわけない」から、受け入れない。
若者は、知らない世界があることをなんとなく知っているし、若いのだから、知らなくて当然の世界がたくさんあることに気づいている。
もし、知らない世界の話を聞いたとしても、「ほうほう、そういう世界もあるのか」となる。
年を取ると、分の定規にこだわるというか、自分の定規をしっかりと持ったらその物差しで測ろうとする。
新しい物差しが持ってこられると自分の物差しが使えなくなるので動揺して頑固になるのではないだろうか。
年を取ることは、経験を重ねることだ。
しかし、その経験の質は人によって違う。
よって、年を取っている=経験があるというのは、話が違う。
昔の「年の功」という言葉は、生かすも殺すも、シニア自身であり、それは、若い頃からの積み重ねだ。