中高年が世の中を少し変える。

仲良くしていただいていたMさんが亡くなった。
知らせの手紙が来たとき、とても悲しくなった。
うちにいらしていた7月、Mさんはすい臓がんであることを告知された。
ご本人も知っていたので、覚悟の上ではあったと思うが、7月の時点で手遅れだった。
76歳と言う若さで、毒舌で、かといっていやみじゃなくて、お孫さんが大好きで、それでも「じゃぁ、お孫さんの嫁に、わたしなんかどうでしょう」と笑っていったら、大爆笑した、そんなMさんが大好きだった。
ご本人も、ご本人の関係者も、某大企業の会長・取締役レベルの方々で、色々な情報を下さった。


お孫さんにも何度もお会いしたが、しっかりしたお坊ちゃんで
あー、いい教育をうけているな、と思ったことを思い出す。
コドモは学ぶんじゃなくてまねぶ(まねして学ぶ)んだよ、と糸井重里さんのウェブのどこかか手帳のどこかに書いてあった。
そういえば、中学の先生もそんな事を言っていた。
「まなぶんじゃない、まねして、学べ。まねぶんだよ。歴史から、学ぶんだよ。」
中高年はビジネスのターゲットとして、と捉えるだけじゃなく、
かれらから学ぶ事は沢山ある。
確かに頭は固くなるし、経験則で物事を言うようにも成る。
でも、若者が、彼らから学ぶ事はとても多い。それは、今の為だけじゃなく、未来のために。
中高年、私たちが言う所の「オトナ」の教育は、子供たちの真似するお手本を作る為にも
とても必要なのだと、Mさんが亡くなって、じっくりと思った。
私はMさんのよいところを沢山真似していきたい。
それが、よい未来を創るための一助となるし
Mさんの生きていた事を、どこかに伝える、小さな役目となるだろうと思っているから。
オトナ社会を発展させる事で
未来のオトナ=コドモの助けになりたい。改革も、革命も、前が無くちゃ出来ない事だし。
「こんな年だけどさ、やっぱり勉強しないと、ダメだよね」と、足しげく通ってくださったMさん。
ただ、今日は、もうMさんに会えない事が、ただひたすら悲しい。
ご冥福をお祈りいたします。短い間でしたが、出会えてよかった。色々学ばせてくださってありがとうございました。
本日は、感謝の意味をこめて、しんみりとした書き込みでした。