解る人と知らない人
某MLで「解る人」と「怖い人」が無限ループのような会話をしている。
一人(以下A)は、ものすごくPCだけでなく、システムに強い人。
一人(以下B)は、おじ、おじ、いや、お兄様で、パソコンはインターネットは使える。ワードも基本的なことは使えるが、それ以上は知らない。さらに、パソコンなんてなくたって生きていけるさ、と思っている人。
絶対的な温度差。
AさんがBさんに、システムを利用してお手伝いさせてほしいと言って来た。この気持ちわかる。私も某青果市場のグレープフルーツの選別にシステムが利用できないかと真剣に思っていたから。
一方Bさん。システム、という言葉を聴くと「心がない!」と思ってしまう。その気持ちわかるなぁ。「違うんだよ、それは人間の心であって、システムが出来る部分じゃない」というのが意見。
システムに対する考え方が違うのだ。多分、Aさんが弁明すればするほど、Bさんはシステムが嫌いになるだろう。それは、お互いの共通認識がないことをAさんが理解しなくては、BさんにAさんの善意は伝わらない。Aさんが、シニア層の心理的な機微を汲み取れない限り、多分、BさんはAさんに対して「自分の言いたいことが解らない人」という烙印を押すだろう。Aさんはとても優秀なのに、関係ない。お互いにすんでいる世界が違うから。
ユーザーサイドでものを考えましょう、と人はいう。
すごく難しいですね。
私としては、使ってほしい人が心地よく使えるようにしましょう。と思うだけなのですが。
ユーザーの視点じゃなくて、ユーザーが使いやすいという思いやり、というか、その使いづらさの原点を組んであげるというか。解らない人は、何が解らないか説明できません。さらに、一度成功したらその成功taikenを引きずるので新しい操作方法について拒否をします。
作る人は、作る人の都合じゃなくて、解らない人の立場と心を考えて作る。
ユーザーサイドであるが、ユーザーの言いなりではない。それは面白い試みでもある。
今必要なのは、解らない人と解る人の通訳者なのかもしれませんね。
当社は、その通訳をしています。