情報のリアル感
「インターネット」が発達したら、情報はどんどん平準化し、地方と都会の差なんてなくなると思っていた。
しかし、パソコン教室のフランチャイズを各地に展開していると、その土地の特色というのもあるが、地方に行くほど、「パソコンは無理」と言う人が多くなる。
そして、教室を開くオーナーさんにも言われる。
「東京は進んでいますから、進んでいるお客さんも多いかもしれませんが、地方は全然ですよ。」
(これに関しては異議があるが、地方は遅れていると思う人も多いのは事実)
実際には、ネット上には、同じ情報が流れている。
なのに、伝わり方が違う。同じニュースが流れていて、受け止めることができるが、地方の方が受け止めるのがやや遅い気がする。
ニュースだって、テレビだって、基本的には同じニュースが流れていても、そこに差ができている。それは、なんなのだろう?
シニア層を見ていると、同じような「差」を感じる。
東京に住んでいて、同じ時間を過ごしていて、インターネットをやっている人なら同じ情報を受けられるのに、差がある。
その根幹はなんなのだろう?
ゴールデンウィーク中に自分が出した、一つの答えは「情報のリアル感」であった。
インターネットも、テレビも、都会であればその情報を確認できる。その話題をしている人がいる。話題のものを持っている人がいる。
地方だと、情報は流れているが、どうも対岸の火事で、実感がないからなのかもしれない。
たとえば、テレビであれば、知っている街で、知っている商品が売っている。それがリアル。
遠いところ、行ったことがないところで売っているものは「事実」だが、それ以上ではない。そう、他人事。「リアル」ではない。
色々な人を見ていると、定年退職した後(つまり、社会から少し離れた後)には情報からリアルが徐々に失われているような気がする。
先日、定年退職して悠々自適のKさんが、「会社に行かないと新しい情報が入らなくてね。ここが唯一の情報源だよ。はははははは~」と仰っていた。
会社にいるということは、嫌でも、新しい情報が目に触れて、「オレは機械音痴なんだYO」と強がっていても、PCから、機械から逃れることはできない。
それが、「自由」になると、触らなくていい。触るのが面倒であれば触らない。
そうして、徐々に「情報のリアル」から遠ざかる。
新しい商品を見ても他人事に見える。楽しい!と言っている人が他人に見える。それで焦るから記事を読む。
新しいウェブサービスも、Twitterも、「新聞で読んでテレビで見る」他人事なのかもしれない。
そして、リアルじゃない情報や商品に、多くのシニアは「ふーん」で通り過ぎてしまう。
リアルに感じさせること。それがシニア層に受け入れられる、地方にも発展するキーワードだと思う。そして、リアルがない情報は、どんどん感度格差を作っていくのだろうなあと、ふと思った。