できるとできない
私たちは、50代~60代前半の方々を「第2思春期」と呼んでいます。
自分の心はまだ若い、だけど、年齢を感じることが増える。
そのハザマに入る。汽水世代とか、第二思春期とか、そんな感じだ。
例えば、「説明書がわからない」と言う点についても
「ついこの間までは苦なく読めたのに、最近読めないのは、(私じゃなくて)機械が複雑で説明書が悪いんじゃないか」と思うわけだ。(実際読みづらいのもあるけど、読もうとしない人もいる。読んでいるフリをしている人もいる)
彼ら・シニア・シルバー層の特徴は今までの経験などとどうにかして関連付けようとすること。
例えば複雑な機械を買う。パソコンなんてそのよい例なわけですけど、ある日突然ワカモノワールド?に突入「させられ」「自分が歳を取っているのではないかと不安にさせられた上で」、さらに「何を言ってるんだ????」となってしまう。
順を追ってパソコンの歴史とともに生きている人にとってはすごく簡単に書かれた言葉なのに。
システム関係についている方が年齢関係なくパソコン用語を使いこなしている。
順を追ってパソコンとともに生きているから、その言葉は決して新しい言葉ではない。
しかし。
大半のシニア・シルバー層にとってパソコン用語は新しい言葉だ。(システム関連者のほうがレアだと思うのですが。)
その言葉に接する時「毎日が新鮮」なのだ。
「できない」と思うようになる原因として、ご本人も「加齢のせいじゃないか」と思ってしまう。
「前だったら出来たのに」
そして、加齢を問題として意識して、その時にやたらと説明書に対して怒りを感じる。
#確かに、この説明書はこうした方が解りやすいのにな,とか、この矢印の位置を少し変えればもう少しいい感じになるのにな、この言葉をどうすれば、と思うことはある。解りづらく書いているなーと思うことも無きにしも非ず。
しかし、説明書が解らないということに対する一番の怒りは、多分「加齢に直面した瞬間」なのだろう。
これが70歳直前になると突き抜けるのですが、いまの団塊世代が突き抜けられるかな、とは思いますが。