自己評価の恐ろしさ

10月 18, 2017

自分のことは自分がよくわかっている。というのは、嘘だ。

教育現場にいると、自己評価が高い人ほどできない傾向があり、自己評価が低い人は、超できる人か本当にできない人のどちらかだ。

例えば、数学教室にて。
「私、高校まで数学やっていたんですけど忘れちゃって」
という方ほど、小数点の計算や文章題の基礎を忘れてしまっている。

「私昔から数学苦手で」
という方は、中2くらいまでの数学はしっかりできているコトが多い。

パソコンにしかり。
自己評価と客観評価が同じなのは英語くらいだろうか。

謙遜しているのではないか、という意見もあろうが、そうでもなさそうだ。

自己評価があてにならない理由について考えてみよう。

自己評価の前提に、他人がいる。周りの友達に比べて、環境に比べて、脳内の友達に比べて、私はできるかできないか、自己評価が高いか低いかが決まる。
同じ人でも周りにできる人が多ければ、できないという評価になるし、そうでない場合は、できるという評価になる。

しかし、それだけでもなさそうだ。

「過去の自分がキープされて今の状態になっている」と信じて疑っていない人がいる。
いわゆる、劣化認めない系(?)である。
中学から勉強していないが、そこまでは知識を詰め込んだので、その間に減ることはないだろうという妙な自信である。

自信と言えば、
「覚えればいいんですよね」と仰る方がいる。
「忘れちゃって本当に恥ずかしい」と仰る方がいる。

忘れちゃって恥ずかしい。というのは、自分が覚えている自信があることが前提なのかと毎回聞いているのだが、もしかしたら、自分に対する過信が、自信につながっているのかもしれない。

私が、忘れるわけがない。
私が、劣化するわけがない。

自己評価の対象は、数十年昔の自分だから、客観評価だとできていないところが、自己評価だと高くなる可能性もある。

スタッフの合い言葉は
「自己評価を信じてはだめ。」である。

自己評価ほどあてにならないものはない。
だから、ヒアリングの時も、いかなる時も、ご本人の自己評価は、ご本人が自分自身をどう見ているか、という指標以外には使わない。
(しかし、その指標として自己評価を図ると意外と面白い。)