人はそんなに人を理解できない

私はこの写真でも緊張して手に汗をかく

私は、なかなかひどい高所恐怖症だ。
歩道橋は、途中で腰を抜かすことがあるため、
極力渡らないようにしている。

ガラス張りのビルなんてもってのほかだ。
当社が営業を頑張らないのは
高いビルで腰を抜かしたくないからという物ある。

吹き抜けのエレベーターは気持ち悪くなる。
ラピュタが見られない。
ダムの映像は、見た瞬間に
恋でもしたんじゃないかと思うくらい
心臓が高鳴る。

私ほどひどい人はあまり見たことがないので
メジャーな恐怖症と言われる「高所恐怖症」のなかでも
そこそこマイノリティな部類になるのだろう。

とにかく、高いところに行くと、
腰が抜ける、怖くて笑い出す、よくわからない雄叫びをしだす。
だから、高いところに行きたくない。

しかし、最近は、「おしゃれ」なところに高いところが増えている。
「高いところはおしゃれだ」という気持ちがあるのだろうか。

UXを重視していますとか
誰もが使えるようにユニバーサルデザインを取り入れています
というところですら、
玄関が吹き抜けだったり
待つところが窓側だったり(それも大嫌いな足下が見えるヤツ)

行動をめっちゃ制限されてしまう「高所恐怖症」だが、
おかげで「強者が想像もつかない弱者」の立場になれるので
ちょっとは重宝している。(強がり)

銀座のApple Storeも、まさか、あのビルがおしゃれに感じずに
ただひたすら恐怖に感じている人がいるとは思っていないだろう。

わからないひとには、わからないのである。
なぜって、人は知っていることしか想像できないから。
高いところが怖い気持ちの存在を知らなければ
それは、想像できない。

だから、人は、人のことを理解できないし
理解されないことを怒ってもしょうがないし、
共感したと思っても、あくまでも自分の枠内で
想像できる範囲での共感であることを
忘れてはいけないと思う。

これからできる建物、
ほんと、吹き抜けだけは勘弁して欲しい。
もしくは、私がいつでも台車を持ちあるくか・・・(腰抜かした時用)