シニア・シニア・シニア
Act.13「アイ,シニア?」
記事ではざっくりとした「シニア」という切り口がおかしいんじゃないかという提言がある。
最初に気になるのは「シニア」というユーザー層の定義だ。事業者及び端末メーカーの資料やプロモーションを見ていると、一般的に40~50歳以上を「中高年層=シニア層」と捉えているケースが多いようだ。これは他の製品ジャンルでも似通っている。しかし、ケータイは基本的に個人が利用するものであり、日本人の平均的な寿命を考えれば、シルバー層と言われる70~80代あたりまでのユーザーがケータイを利用することが考えられる。もちろん、ユーザーによって、あるいは周囲の環境などによって、本当に必要とするか否かは異なるのだろうが、これらの各年代層をすべてひとまとめにして、シニア向けケータイが開発されていることにはかなり疑問が残る。
40歳からシニア層か・・・。そんなこといったら、人生の半分がシニアなのか。まだこういう気持ちで商品開発をしている人がまさかいるとは思っていなかったけど。シニア=熟した、という考え方がそもそも違和感の原点なんだな、と思う。なんどもここにも書いているが、シニアは大人じゃない。
よく、私が仕事の話をすると「イマドキのおじいちゃん、おばあちゃん」と言い方をする方がいますが、じーさんばーさんだなんて言ったら、多分、食べられます。よく解らないですが、そんな生ぬるい市場じゃない。刺激を求めて求めて、さらに、経験上普通の刺激じゃやだ、だけど、未知のものは怖い、介護市場を狙っているならともかく、(イマドキの介護もちょっとずつ変わっているみたいですけどね)団塊世代を狙おうって言うなら、そんな甘ったれたことをいっていたら、反応を得るどころか「はぁぁぁ?」と無視されて、はぁぁ?の反応すら来ずに終わってしまうのです。
見易さと使いやすさの工夫。これは非常に重要であるが、それって、声を大きくすればするほど、団塊世代は逃げていく気がする。さりげなさがないんですよ。
ただ、気になるのは、文字の大きさをいくら大きくしても
多分、「ナビ」って言葉はなんとなく、耳の外をさらりと通っていくティンカーベル状態になるだろうし
ツールとか、データって?という話になるだろう。
その姿は、なんとなくですよ、なんとなく、
すっごいブランドものを持っているけど、靴がスニーカーっていう感じ。それも、3足1000円くらいの。(そんなスニーカーがあるのかどうかはおいといて。)
でも、使いやすいコトに対して文句を言う気はなく、そういう姿勢ってすごい素敵だと思う。
ツーカーSにしろ、あそこまで割り切ってしまうとそれはそれで素敵だし
あの広告は、あくまでも「息子・娘が買うもの」と割り切った姿が見えて
団塊世代が想像する「じーさんばーさん」像にのっとったものであるから、それはそれでいいと思う。
とにかく、誰も、シニア・シルバー層の姿を見ずに
想像だけで、「あーだろう」「こーだろう」と議論しているようにしか見えないのが現実である。
誰もが、近くにいる60歳代で語る。
データに見える、それもインターネット調査で見ているシニア層で語ろうとする。
いや、そんなことはないさ。と自分について語る。
その姿は、自分の経験で恋愛相談に乗っているようなものだ。ちょっとこの辺からは墓穴を掘りそうなので黙りますが(笑)
今さら説明するまでもないが、ケータイはコミュニケーションの道具であり、もっとも身近なデジタルツールだ。工夫次第で、生活のさまざまなシーンで役立つアイテムであることは、本誌をご愛読いただいている読者なら、よくご存知だろう。ケータイの持つ利便性を自分たちの世代のためだけのものにするのではなく、より幅広い層が便利だと思えるような製品や環境、社会を作り出していく必要があるのではないだろうか。事業者やメーカーには今まで以上の工夫を期待したいし、人生の先輩方からいろいろなことを学ばなければならない我々もその動向をしっかり見守る必要があるはずだ。
そう、我々は人生の先輩から、色々学ぶべきなのだ。昔から言っていること。シニア層はじーさんばーさんではなく、人生の先輩なのだってこと。私たちは、もっともっと吸収し、情報を取捨選択すべきなのだ。