考えるの、お嫌いですか。

あっというまに3月も終わり。
桜も満開@東京、つらい花粉の季節もそろそろ終わりです♪
さて、当社で受けていた新宿区の講習会もワンクールがそろそろ終わります。
延べ600名とか、もう数え切れない方にお越しいただき、めまぐるしい1年でした。
今日は今年度最後の授業です。
授業の最初には自己紹介をします。
「○○です。覚えても直ぐに忘れちゃいます。」
「××です。覚えることはあきらめました。楽しめればうれしいです」
そんな自己紹介。
そんな中、今日の人
「私は後期高齢者になったので、考えるのが億劫です。」
考えるのが嫌です。
歳をとったので勉強したくありません。
そんな言葉をよく聞く。
本当は、学ぶことはとても楽しいのに、多くの人は「考えたくない」という。
とあるユーザーテストをしていて、説明書を読んでいただくのだが、説明書、それもものすごく解りやすく描いたつもりなのに、文字を見た瞬間に「文字嫌いなんだよね。」
キャプチャだけを見ているので、応用が利かない。
例えばユーザー名を自分で決めましょう、と書いてあっても説明書のとおりにユーザー名を入れる。
なので、ユーザー名入力画面の画面キャプチャのところに mami と書いてあると、みんな、何も考えずに「mami」といれる。 なぜ?(結局、mami の部分は修正テープで消して、mamiと入れさせるのを止めました)
考えたくないは、考えないに通じる。
覚えるのがつらい、目が良く見えないのもつらい、考えるのがつらい、新しいことをするのがつらい。
余り考えずに楽しいことをしたい
自分に関係ないと思ったら、興味を持たない
Yahoo!の一面に出ていても 初音ミクを知らない。興味が無いから。若い子がやるんでしょ?自分には関係ない。
自分の生活に関係ない殺人事件はみんな知っている。読んでいる。「最近の子は怖いよね」「いつ危険が来るか解らないよね」だけど、難しそうな著作権問題とか、読まない。
使いやすさは、考えないでも操作できること、となるわけなのだけど、なんか腑に落ちない。
考えないで操作できて、直感的に使えて(つまり、そういうことだ)、いろいろな楽しみがその先に広がるのだけども、それでいろいろ人生が広くなることもあるだろうし、便利に情報を得られることも出来るし。
自分が高齢者ではないし、高齢化しないように気をつけているからこそ、高齢者の気持ちが解らない事がある。どうして考えたいと、勉強したいと思わないんだろう?
もちろん、すごく勉強好きな人もいる。努力している人もいる。
学ぶことって楽しいと、気づいてくださる方もいる。
でも、「考えるのがいや」という人のほうが多い、というのが雑感。
考えるの、お嫌いですか?でも、結構楽しいのに。学ぶってすごい楽しいのに。新しいこと始めるって、最初はつらいけど、できるようになれば本当に楽しいのに。
考えないでも使えるウェブサイトになるよう改善点を出しながら、なんか、モヤモヤしている私がいる。
#しかし、私も最近行動の高齢化が進んでいる。考える、新しい何かを始めよう。