人はそんなに見ていない

私は、あまりおシャレをしない。
理由は色々有るのだが、(本当は何も無いけど。面倒くさいだけ)まあ、おしゃれしても誰も見ていないだろう。という予測に基づいているのかもしれない。(理由があると前置きをしているくせに推定伝聞)
おしゃれをしないどころか、服装についてなにか欠落している気がする。
私としては原因が小学校時代の制服にあると考えているのだが、(小学校→高校途中まで制服だったため、服装に付いて悩むと言う事をしたことがない。高校を辞めてから服について悩む事に悩んだものだ。)根本的に、人は人に注意を払わない、と思っているのかもしれない。(だから休日などすっぴんで都会に出る。1年前くらいは少年、と声を掛けられた。一応女だって・・・まあいいけど。)
ある日、といっても、随分前、「今日の格好変じゃないかな」と我が母に聞いてみた。
「大丈夫よ!あんたのことなんて誰も見てない。」と我が母が答えた。
もしかしたら、それ以来、おしゃれに気を使わなくなったのかも・・・。。。
ということで、人はそんなに見ていない。人は、そんなに気にしない。
人は、自分に関係ある事しか見えない。
とあるウェブサイトのユーザーテスト。
あの機能はここがいいのか、あそこがいいのか。
そして私は答える。
「大丈夫。その機能は全く目に入っていない。」
今、ユーザーテストの結果をまとめていて、メニュー項目に付いて聞いている部分にさしかかり、思わずコレを書いているのだが、「目に付かなかった」「気付かなかった」「うわー、そんなのがあったのね。」という意見が上がっている。
そう。あなたが悩むより、ユーザーは見えていない。
閑話休題。
弊社の近くのお店が変わった。
一緒に昼ご飯を食べていたスタッフが言った。
「マミコさん、あそこって前、なんでしたっけ」
「ふふふふふ」と不敵な笑み。
「・・・・な、な、なんっすか」
「ほらね、人は思っている以上に意識していない。つまり、ウェブサイト上のメニューも、作り手の思惑と使い手の思惑は全く違う。」
「・・・。それとそれを一緒にしますか」
「しますよ。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
使われない機能と、Yahoo!に無い機能は「有る事に気付かれない」。
#yahoo!はすごい。検索結果の先のページもYahoo!だと認識している人の多いこと。
私はうちの教室を作る時に、パソコンやデジカメを持つ時に初めて気付く日常の素晴らしさを提案したい、と掲げたが、多くの人は雑多な情報を入れないために、いろいろなものを見て気付かない。それが生きる術。気にしていたら生きていけない。
小さなことに悩んで、ささやかな悩みを解消させるのはとても大切。
しかし、お互いに小さなことに悩んだり、一方的に「高齢者だからきっと世の中に良い事をしたいはず!」とかそういうリソウを掲げたりしないで、さりげなくさりげなく、使いやすくかつ、楽しいウェブサイトが増えれば良いと思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
酔言:
小さな話ですが、私は知的好奇心の強い高齢者を見るとすごく嬉しくなる。
仕事柄、それなりに知的好奇心の強い高齢者と接するとアドレナリンが、すごくネクタイが似合う人に会った位、暴発するのですが、それって、これだけ毎日シニア・シルバー層と会っている私がそうなのだから、きっととても少ないんだと思う。人は思っている事と違う事に興奮する。って、インドに行った時に思った。
普段、そういう高齢者が少ない、考える事が嫌だという人に多く会っているからこそ、もっと知りたい、もっと考えたいと思ってくださる方を、本当にかっちょいいと思うんだろうと思う。
仕事柄、50歳以上の人には多く会いますが、私が、今、かっこいい!と目をきらきらしてしまう(決してネクタイが似合うとか、ロマンスグレーで胸きゅんとかそういうのではなく。多分)ことが通常になったら、すっごい高齢化社会ができるんだろうなあと、時折思うのであります。

と、酔文は、自宅で一人で飲みながら書いているのでお許しを。書かないと書けなくなってしまいそうで。
→夜中に一度書いてUpしたものを朝未公開にし、1日経って再度公開したので、朝から飲んでいるわけではありません。悪しからず。