相違を感じる

先日gungiで少しだけお時間を頂き、話させて頂いた。
なんせ、私は超絶なる高所恐怖症、そして場所はマークシティ、どうなるかと思いましたが、まだ足が付いているので安心安心。えーと、関係者の皆さまにはご迷惑をおかけしました。
さて、そこで少しふれた「相違」の話。
同じこと、違う事に気づくのは大切なのですよーと言う話をした。
これは誰かがかいていたインド旅行記にも書いてあり、なるほどなあと納得しましたし、今でもヒアリングの際やウェブタスクテストの際に違いばかり気にしないように(些細な違いに驚かないように)気を付けている点でもあります。
ところで、先日私と私の妹の二人をよく知る友人と電話していました。
私たち姉妹はよく「似ている」と言われます。
まあ、長年一緒に住んでいるので似ているのも当然でしょうが、喋り方、身長などほとんど一緒なのです。
ただ、性格は大きく違う。うちは3姉妹(私は真ん中)、全員違う性格。
「森ちゃんちは姉妹で全然性格違うよね」と友人が言う。
「でもさ、ずーっと姉妹全然違うって思っていたんだけど、良く見るとたまに同じなんだよね」
違う違う、という思い込みは同じことを忘れさせるし、同じ同じという思い込みは違いに目がいかなくなる。
シニア層も違いばかり目を向けていても実際の姿は見る事は出来ないし、逆もまた然り。
人間はいつか必ず年をとるのに、違いばかり有る訳ではないし、年を取ってできなくなることが増えるのだから違って当たり前。
そんな「当たり前」に触れずに「シニアだから違う人!」「なんだよ!自分とおんなじじゃん。ガックシ」というのはなんだかなあ、と思う。だから、自分はまだシニアじゃない人は自分がまだシニア出ない事を認識しつつ、老化に取り組みつつ、自分の老化を楽しめばいいし、拒否する事も、迎合する事もないと思うなあ。
違う事、同じこと、どちらも感じること。どちらもバランス良くってとても難しいけど、まずシニアを見るときはそこからはじめてみましょうー。
#だから、ヒアリングの時も、その場だけでの付き合いじゃなくて、普段から対象者と接していることも重要だと思う。