学びと老化

本日は久しぶりにてやや雑感を。
歳をとってから学ぶということは、とても大変そうだ。
だから、ワタシは若い人に「若いうちに学ぶ習慣と、疑問を持つ&仮説を立てる習慣を持っておけ」とまるで年老いた人のように言う。若年性老化だってあるわけだし。
さて、学ぶとはなんだろう?
ただ知識の詰め込みは、学ぶとは言わないと思う。
学ぶとは、自分の体に吸収することなんだと思う。
ただ、吸収する前に知識のつめこみが重要で、知識を詰め込めない人は学べないワケなのだが。イメージとしては大量の水を脳みそに詰め込んで浸透させていく感じ。水を飲んだってほとんど出ちゃうのだから、知識もそんな感じだ。きっと。
学んで、吸収したとしたら、そこに応用力が聞く。そして、気づく。
世の中が色々なもので成り立っていることにキラキラできる。
それが気づき力で、それは学び力が基礎になっている。
学びはもちろん、書からだけではなく、色々なことから学びのきっかけがあるんだろうけど、もちろん、友から学ぶことも多いだろうけど、その前に体系だった本を読むなどしておけば更に学べるなあと思う。ということで、よく疎かにされがちな数国社理って超重要だと思う。水素のモデルを見て感動しながら組織論に思いを馳せるって最高。
ということで、ここまでの結論、学びは重要である。基礎学力は特に。書を読もう。若いうちに。
さて、老化。老化の過程において、日常という歴史が脳みそに積み重ねられていく。皮膚が硬くなるように、少しずつ、脳みそが硬くなる。
ルーティンワークで色々なものが過ぎていく。いや、色々考えているんだよ、と反論を受けそうだが(実際、専業主婦の姉から受けたが)脳みそは意識しないと新しいことに対して反応しなくなる。
反応しないから、少し頭を使いそうなことを拒否するようになる。自分では気づかないうちに。
今、当社に小学生が通っている。さあ、やってみようと声をかけると「うん。」これが早い人だと20歳代後半あたりから「やったことがないので解りません。」と入る。人間誰だって初めてがあるんだ。学びの姿勢が弱い人は初めてに対する抗力が弱い。
「え、苦手だし」「昔からダメなんだよね」「多分無理」ムリムリ選手権に入っている人はずっとそのまんまだ。「ムリ」は楽な言葉。「やってみよう!」って結構難しい。それが歳をとるってこと。歳をとれば、誰しもがそうなっていくわけだけど、20歳代でそれはヤバイと思う。
なので、ワタシは、ムリ、というセリフが増えてきたり、「興味ない」「やったことがない」という言葉を聞くと「ああ、この人は老化が始まっているな」と判断する。
50歳代になるとよほど意識した頭の使い方をしている人以外、よほどのことがない限り「やったことないから解らない」という。「良かったじゃないですか。まだ人生にはやったことがないことが沢山あるから楽しみ」と小理屈をこねても「えー。難しいことやだー」「解んない」これが連発されると新しいものを吸い込めなくなる。
例えば、子どもは「あいうえお」をドラッグして、文字の色を変えて変わったことを確認したら「かきくけこ」もドラッグしようとする。これが学べなくなってくると、「かきくけこ」をドラッグしない。「指示がないから」「だって、やって変になったやなんだもん。」今、若い人たちが何故?と思うようなことで躊躇する。それが老化した人が学ぶってことだ。
そして、どんどん学びから離れる。学びはダイエットと似ている。意識しなくてはできない。(多分ね。マラリアになったら一発だけどね)
つまり、老化しちゃった後に学ぶのは大変。だから若いうちに学んでおこうね。ということ。
で、じゃあ、老化した人はどうするの?
老化してしまった脳みそを持ったら、焦らずに少しずつやわらかくするしかない。
他人と同じペースでできることを考えてはいけない。
先日、久しぶりに講習会をしたのだが、70歳代の方が50歳代の若さについていけず、ギブアップしそうになった。
まず、視野の狭さも問題なのだが、もちろん、短期記憶の欠如も問題で、先ほど押したボタンの場所を再確認するときには画面を最初から舐めるように見なくちゃいけないというのもあり。
エクセルを担当したのだが、例えば、ここのセルに色を付けました。じゃあ、皆さん好き勝手に今ある表に色を付けましょう、と促したところ、74歳だけ、ずっと止まっていた。「いや、もうコレで十分ですから」「今まで勉強していないので、ちょっと、辛いです」
歳をとって勉強を始めようというならば、あきらめちゃいけない。「ワタシ勉強してないもんねっ」と開き直るな。
60歳でも、85歳でも、「勉強するって、楽しいなあ」って言える大人を見ると若者の私たちもやる気になるし、楽しくなるので、きつくても言って欲しい。幸せそうに見える。
なので今日の雑感のまとめ。
老化したら、脳みそが硬くなる。それは誰もが迎えてしまう。
硬くならないためには今から意識するして、そんなに硬くならないように頑張るしかない。
今より若い日はないし、未来は今から作るもの。
そのためには目の前の楽しいことも重要だけど、本を読むのがいい[要出典]
で、もし、すっかり老化してしまったら、揉み解すのに焦っちゃダメ。ダメ、ゼッタイ。
開き直りもダメ。学気持ちがあれば、死ぬまで学べる。恋と学びは灰までだから。
学ぶことを楽しい!って大きな声で言える、小手先のテクニックの受験対策ではなく、学ぶって面白いよねえ、としみじみ言える感じがいいなあと思うのである。
#どうでもいい話。
はてなの流行?じゃないけど、「そんなんで子どもを育てる権利があるのか。勉強の楽しさを知らない親に育てられたらどれだけ子どもは不幸か。」と思わないことも時折なくもなくない。
でも、まあ、いいじゃない。反面教師という言葉もあるし。親も子どもも選べないんだし。マッチングは神のみぞ知る。親がすばらしくたって子がすばらしいとは限らないし、ダメな親のほうがいい子が育つこともある。ただ、学びを楽しめない親の子どもはやはり、学びを無駄なものと思うのかなあ。いい先生と出会えると良いなあ。