言葉を得る楽しさ
行動は思いつきが8割、という私が、突然大学院に行きたいと言い出した。
今年の前期、とある大学に教えに行っていて、図らずも非常に興味深い学習データを得ることができた。
例えば、学習時間と、学習量と成績の関係など。
もっと分析できれば、もっと面白い世界が見えるかもしれない。
面白い世界が見えたら、大人の学習に役立てることができそうだ。
分析手法をもっと知りたい。
もっと学習設計についてい知りたい。
自分の考察にツッコミがほしい。
考察を活かしたい。
そんな、完全に個人の興味の先が大学院に向いた。
目当ての大学院の過去問を取り寄せると、入学試験は専門にしたい分野についての小論文。大学とは違い、大学院に入る前には専門知識もある程度持っていないといけないと知る程のお粗末な大学院入試知識である。
そして今、入試対策を含めて、少しずつ専門分野の勉強を始めている。
そして、勉強を始めてから、ぼんやりとした自分の考えを表す言葉を知り、とても感動している。赤ちゃんが「眠い」という言葉を持ち、発したときに伝わる感動に近いのではないかと勝手に思っている。
ああ、このもやもやしていた考えは、こういう言葉だったのね!と。
もちろん、言葉になったことで、考え周辺のもやもやが削ぎ落とされる音もあるだろうが、それ以上に、何かがクリアになった気がしている。水という言葉を認識したヘレン・ケラーと気持ちを共有できたのではないかとすら思った。
今、言葉を得ている状況が楽しくてたまらない。
今まで、なんて、言葉を知らなかったのだろうか。
言葉をおぼえるというよりは、感情を言葉にできる幸せ感。
童心に帰りすぎているのかもしれないが、今、日々、猛烈に感動している。
この知識やら、感動やらを研修に反映させていきたい。