ニーズのクラスタ化

消費者のニーズが多様化し、細かくなって、以前みたいなマス対応ができない。

ではないのではないか?と、ふと思った。

自分の知っている人は大体友達

注】ここでのクラスタとは、「集団」を指す。この業界にいながら、「クラスタ」という言葉を聞いてクラスタコンピューターを思いつかず、クラスター分析的なクラスタ(まとまり)を思い出してしまう。長音を省くのは、昭和の人間なので、お許しを。

色々な人と話していると、「自分の周りが常識である」と思っている人は多い。
自分と似たタイプと友達になり、友達を選び、気が合わない人と付き合う必要はない。特に都会では。
会社では気が合わない人もいるかも知れないが、それは「常識的ではない」で断罪してしまえばいい。

自分の周りが社会であるのは当然。

以前ならばテレビなどで自分以外の情報を強制的に得ることがあったが(それでもチャンネルを選んでいる時点である程度のバイアスはかかるが)最近ではYoutubeで番組?をお薦めされ、それ以外のものを見る時間は余り残されていない。

となると、自分が見聞きしているものは、ほとんど自分に最適化された情報であり、同じ情報をみな消費していると思い込んでも仕方あるまい。

そのような人が友達を作って、村を作れば、隣の村の常識などうかがい知ることができない。

このようにして自分は「マス」である「ミニクラスタ」が出現する。自分の見ている世界は、世界である。哲学的でもある。

これから私たちはどうすればいいのか

共通のお困りごとが、本人たちの気づかないところであるはずだ。
村から出てこないので、気づくことができないお困りごとを見つけて、提案する。ニーズはますます見えなくなる。それは、本人たちが「常識」「そういうもの」と思っているからだ。

新規ビジネスも考えなくてはいけない時期なので、そろそろ、気づかれていないお困りごとを丁寧に見つけていく作業に入る。