常識という言葉
私は、ジョーシキがあまりないもので(自慢できないが)、自分にジョウシキとやらが欠けていることを重々承知している。
だから、誰かが「ジョウシキ」という言葉を言ったら、空気を読まずに、それが何を指していて、どういうことなのかを聞き出すようにしている。そうでないと、違うことを思っていたりするからだ。(余程のマナー違反の話とかは聞き返さないこともありますけど。)
常識という言葉がわからなくなった時のことをまだ覚えている。
2005年、某巨大企業と某そこそこ巨大企業が統合したときの話。友人が合併した「そこそこ巨大企業」に勤めており、忘年会であった時に「「巨大企業」との色々常識が違いすぎて仕事がうまく進まない」とぼやいていた。
なるほど、そんな巨大企業でも、ジョウシキとやらは、解釈が違うのか。
それで仕事に支障が出るほどに。
じゃあ、常識ってなんだろう?
これもまた知り合いで、「常識的には」というのが口癖な人がいた。
その人の常識がよく解らなかったので、ある日、「どこでの常識ですか」と聞いてしまった。私は空気と言うのがよく読めないのだ。
そして彼は「IT業界での常識。前の会社では誰でも知っていた」と呆れながら私に言った。
(たぶん、呆れながら怒っていただろうと思う。)
なるほど。
会社によって、住む世界によって、仕事によって常識は違う。
IEとChromeのpaddingの解釈の違いとかいうレベルじゃない。
そして、それが「常識」だと思って育つ。すくすく育つ。
それは、当然の話である。
シニア層と話していると、様々な「ジョウシキ」によって成り立っていることがわかる。
多くの人が「常識的にね、」という話をするが、それが、その地域や、仕事、もしくはご主人の仕事、家族によって変わる。
歳をとればとるほど、気の合う仲間と話すようになり、そして、「常識」のお城を確立していく。色々な仲間と会うことで、色々な常識を感じているシニア層もいるが、多くのシニア層は、自分の仲間内での常識を「常識の壁」とは感じずに、常識だと思っている。
同窓会で同窓生に会うと、既に常識のお城の中にいる人もいる。
その中で生きていくことで、より人よりも早く出世できたり、うまくやれたりするからだ。
そう、常識とは、そのコミュニティ内で空気を読んで、言っちゃいけないことは言わないし、言っていいことは、アピールした方がいいし、阿吽の呼吸というか、脈々と受け継がれてきた空気、それが、「常識」。
人は誰も、それぞれの常識を持っているし、それを、本当に常識だと思っている。
だから、シニア層にヒアリングをするときには、その根っこにどういう常識を感じているのかを聞き出さなくてはいけない。
私は「やっぱり、」が会話に増えるとシニア認定をしているのだが、やっぱり、という言葉は、相手と共通認識を持っているということをさりげなく確かめる言葉だと思う。
だから、やっぱり、やっぱりが多い人のヒアリングをする時は、やっぱりの奥に何があるのかをやっぱり確かめる必要がある。
ということで、シニア層のヒアリングとか、なにかあったらお声掛けください。
「やっぱり」に惑わされないだけの人数に会い、表面の言葉に惑わされないとそこそこ自負してますので。シニアマーケットヒアリング調査の常識的に(笑)。