見えない「先」は存在しない。

10月 18, 2017

私の好きな話↓
『徒然草』 第52段.仁和寺にある法師
略すと、お坊さんがお参りに行ったのに、途中で勝手に勘違いして帰っちゃって最後まで行かなかった。マジウケル。(By兼好法師)という内容である。
シニア層のネット操作を見ていると、いつもこの話を思い出す。
Nさんは65歳男性。
インターネットを初めて2カ月になる。
「年末はインターネットをやろうと思ったのに、楽しくなくてすぐ閉じちゃった。」と仰る。
インターネッ子(笑)としては聞き捨てならない言葉である。
「どんなものを見てみたいですか?」
「何があるかわからないから、何も見れない」
「テレビとか見ていて、気になるものをとにかく入れてみればいいんですよ」
「例えば・・・」と、色々見たくなるキーワードをぶつける。
「なるほど、自分が調べたいものを出せばいいんだ。
でも、調べても、何が出てくるかわからないし
ただ見ているだけだから、出来ることが少ない」(←??)
と、仰るので、実際にご興味のありそうなキーワードで見て頂く。
すると、よくあるシニアの行動、
検索結果で「ほら、ここには答えが無い」
これはよくあること。
そこからクリックを促す。
「この情報はつまらない。ただ見ているだけだから」(←??)
「では、前に戻りましょう」
いろいろ話を聞くと、その商品が興味あるのではなく、商品で出来ることに興味があるとか。
「キーワードを変えましょう」
「変えなくちゃいけないの?」
「そうです」
「ふーん」と不服そうに。
「よく解らないんだよなー」
そして、促さないとクリックしない。
「もっと見てみましょう。」
色々なページを表示していただく。
色々なキーワードを入れていただく。
「なるほどねー」
ようやく少し楽しくなってきたようだ。
映画のサイトを観たり、そこから最近気になる女優さんの映画を観たり、いろいろ進んだ。
先が見えない、想像できない、というのは、そこに進む価値があるのかどうか見極めない=行かなくてもいい、と判断されてしまうんだなと思う。
件の徒然草では、自分の目的が達せられたからと勘違いし、山の上(本堂?)まで行かなかったわけだが、その先にどんなものがあるのか想像できなければ前に進まない。
シニアのユーザーテストをやっていると、
さまざまな思い込みで途中でやめてしまう。
もしくは、ないものとして扱う。
「これができたらいいな」と思うのは若い証拠で
「見えるものだけを使う」というのが老化した証拠なのかもしれない。
シニアビジネスやら、シニア向けの商品やら、サイトやら考える時は
目的に達成できるような道案内が重要だなー
空気嫁とか、工夫しろとか、自らの努力を求めることはしちゃいけないなーと
つくづく思った瞬間だった。