聞けない男性

「聞いて間違いだったらどうしよう」
「聞いて「バカだ」と思われたらどうしよう」
それは小さいころから誰でもあることである。
だから、質問できない。
当教室に通われる団塊世代男性の多くの方々の来校理由は「会社で聞くのが恥ずかしい」からである。
通った後でも、なかなか聞く勇気がない人と、ここぞとばかり今までの質問をたっぷり聞く方、と2分されるのだが。
聞くには少々勇気がいる。
余談だが、昨日甥の誕生日プレゼントに何が欲しいかと電話をした。すると甥が言うのだ。「○×△□」。何を言っているか解らない。でも、「それ何?」というのは理解力のある叔母を演じている私としては抵抗がある。そこで、「○×▲■」と彼が言ったことと同じようなことを繰り返す。「違うよー○×△□だよ」。でも、相変わらず何を言っているか解らない。すると甥が「ママー、みぃみ(私のこと)、わかんないみたーい。説明してあげて」
聞かなければよかった・・・。甥の中で「みいみは新しいものが解らない人」というイメージになってしまったに違いない。その後姉が出てきて、それの説明をしてくれたが、結局そのショックさで忘れてしまった。キックスケートボードとかそんな名前だった。スケートを片足でする、というものらしい。頭の中ではフィギュアスケートをしている甥。それも片足で。もう意味が解らない。そして姉が一言。「マミコ遅れてる!そんなことも知らないの?」私は傷つくおじさまの気持ちが解ってしまった。号泣。


そんなわけで前フリが長いのだが
シニア男性はとりわけ「解らない」がいえない。
IT用語にしても、色々なことにしても、「なにそれ?」というのは非常に勇気がいる行動だ。
そのため、知らないことから自らを遠ざけたり、無理して使ったり、知ったフリをしたりするのだ。
先日はじめたTさんも、「解らないけど聞けない」タイプだ。
初心者にしては難しそうな用語をしゃべるので、こちらもそれにあわせて説明をする。
すると、途中で全く話がかみ合わない。
恐る恐る、基本的項目の確認から入る。
まったく間違えて理解していることが判明する。「それって、実はこういう意味です」というと「そんなの誰も教えてくれなかった!!!」(いやぁ、そこまで自信満々に話していたら、多分、教えてくれるというよりも、知ってるもんだと思ってしまうだろうなぁ)
難しいものである。
その相手がプレッシャーにならない用語やつくりにしないと、ウェブサイトは受け入れられない。
でも、相手が何に迷っているかは通常の会話からは出てこないだろう。本人たちはわからないことから逃げたり隠したりしているのだから。ふむふむ。