アクセシブルであること

アクセシビリティーの会に行ってきました。
内容としては非常に参考になったのですが、すごく違和感があったのが「アクセシビリティ対応頑張ってます」という会社なのに、ホーム・トップなど、高齢者にはとうてい意味がわからないことが書いてあるということ。
セレブになる為頑張りますって、セレブ福袋を買って、ITのロッポンギヒルズ族の好みの格好とお化粧にしている感じに似ているなあとわたしのメモが私のノートに残っていた。(私のメモは笑える。絵が多い。)
もちろん、ITのナントカ族にもてたいなら、そういう格好をするのがとても大切。多分、そういう格好をしない人はもてないのかもしれない。よく分からないけど。すみません。ということで、線上に立つためには、戦場に出る為にはそういう格好が必要なのだろう。しかし、それは必要十分ではない。高校の授業を思い出す。逆は真ではない。故に、アクセシビリティに配慮しているからといって、高齢者が使えるわけではない。ということは、高齢者にとって「アクセス」可能であるが「使う」ことはできない。


「高齢者に使いやすい情報端末・サービスを考える」という冊子の井桁氏の資料によると、

「高齢者が見えやすいようアイコンを大きくしました→高齢者はアイコンの図柄からどんな機能なのか推測できないから使わない。だから大きくしても嬉しくない」

と、思わず「もっともだーもっともだー」と会津磐梯山を踊ろうかと思っちゃう言葉が載っていた。
先日行った会合で「ユーザーの声」というコーナーがあったが、あれだけ使いこなせているならば問題なかろうと思うのである。実情はもっともっと厳しい。
今朝も通勤電車で前のおば様方が携帯電話を見つめてしゃべっている。
「こんな小さい画面でメールしているの、すごいわね」
そんな年ではない。63歳くらいだと見受けられる。はっきりと、若い。(ちなみに70過ぎないと年とは言えない)
社会的信用としてのアクセシビリティ、最後まで頑張って欲しいものです。
化粧を、洋服をナントカ族対応しても、合コンに行かないと求めているナントカ族とは出会わないのよ!!!ってことです。(笑)