団塊世代とウェブサイト
団塊世代が定年退職を迎えるにあたり、各社様団塊世代の取り込みに躍起になっている。
団塊世代がどういう人たちか、と言うのはいずれ書くとして、多くの会社の悩みなのが団塊世代はどのようなウェブサイトを好むのか、そして、彼らがちょっと思っているのは「団塊世代ぐらいならインターネットの基本操作くらいできるだろう、だから特別にシニア層を視野に入れたウェブサイトを作らなくてもいいじゃないか」という気持ちがあるように思える。(実際、あると思う。)
確かに、今の65歳より皆さんが対象にする団塊世代の一部の人たちのほうがPCは日常業務に利用するため、他の世代に比べて使えているだろう。今、教室は連日満員御礼のありがたい状態なのですが、団塊世代の多くは「インターネットは簡単だから、そのくらいは簡単だよ」と仰る。
見るだけなら簡単である。料理もそうだ、食べるだけなら簡単である。
しかし、実際「操作をしてください」「作ってください」となると、実は色々な難しいことがあるということが解る。
会社で印刷をするなら、変な話「タダ」である。しかし、自宅に帰って印刷をしまくっていると実は印刷代もバカにならないことがわかる。となると、ピンポイントのページをピンポイントに印刷しようと考える。それがどうすればいいのか解らない。
会社を定年退職するとぐっと得られる情報量が狭まる。これは、今まだ働いている人には解らない感覚だろう。
私は東京育ちなので、「東京は情報がいっぱいあっていいね」と言われても、情報がある状態がどういう状態なのか解らない。多分、いっぱいあるのだろうが、解らない。
人間、幸せなときには自分の幸せが解らないものである。(情報が幸せ、と言う意味ではない。)今、働いている状態で情報は当たり前のように入ってくるが、定年退職をすると情報は自ら得に行かなくてはいけない。さらに、手足となる部下はいない。定年退職前の方も退職後の方もたくさん知り合い&生徒さんはいるが、定年退職後、すぐに「情報がナカナカ入らなくてね」と皆さん仰る。
情報を得るための最適な手段はインターネットである。なんせ、無料である。
使いようによっては様々な情報が出てくる。だって、部下はそうやって情報を引き出しては教えてくれていた。僕にもできるはず。
うちに通っている団塊世代で「インターネットができる人」は多いが、実際にその探し方や操作の視界の狭さ、ネットの常識などは「できる」の基準をもう一度見直さなくてはいけないところにきている。
レンジでチンするのも料理という人たちを、「インターネットを使える人」と定義するところに来ている。
「ネットを使えるんだったらそのくらい解ってても当然じゃない?」とか「それは常識だよね」というのは通用しない。「ボクはグーグルを見れます」と自慢げにいうおじ様もいる。「見れる」ってなんだ。ら抜き言葉は嫌いじゃ。と心の中でつぶやく。「ボクはインターネットとか、グーグルとかしてるもんね。やっぱり時代は2.0だもんね。グーグルさえ使ってれば2.0だもんね」というおじ様は多い。本当に本当に。
先日「やっぱりさあ、時代はSNSなんだよね。でも、ちょっと個人情報とか怖いじゃん」というおじさんがいた。じゃあmixiとか見たことあるのかと聞けば「それはちょっと怖いから。」
今の団塊世代は、自分の定年退職後がわからない。ようやくここのところ現実感が出てきた気がするが、心の中で「プレ団塊世代とオレは違う」と思っているように見える。でも、ここ5年、シニア対応してますが、大して変わってない。
つまり、どういうことかというと、団塊世代はインターネットを使えるだろうから、シニア向けのウェブサイトは必要ないと思わないで欲しい。彼らの最大の問題は「使えてる」と思い込んでることである。使えていると思い込んでいる人たちは使えないウェブサイトを見ると「このウェブはおかしいと思う。以上」である。そして、あなたのサイトはみすみす団塊世代を取りこぼしている。
使えることはいいことだ。少なくとも逃げられないから。最大公約数を狙うことはないが、せめて少しの配慮でウェブサイトを使えるようにしなくては、見たいとか、見ようとか、そう思った潜在的ユーザをとり逃すことにもなりかねない。
ちなみに、団塊世代の人たちに色々聞いていると、定年退職後の道筋をしっかりシュミレーションしていないひとが多すぎて驚く。彼らが焦りだしたときに彼らを受け入れるサイトこそが必要とされている。