使えないものは使わないことにしよう

昔なじみのお客様に「まみちゃん、ちょっと来て、パソコン見てよ」と言われると、なかなか断りづらい。最近は断ることのほうが多いが、それでも、断れない人も多い。っていうか、ほとんど断れない。
今日は某先生のもとへ。50歳代半ばの一風変わったところもある某先生は学会で発表するスライドが作れなくてSOSを求めてきた。
「ああ、来たついでにさ、このメールの差出人、アドレス帳に追加しておいて」
見るとメールが文字化けをしている。
「先生、このメール、文字化けしてますね」と申し上げると「ああ、内容ね、よく読めないからね」!??いや、よく読めないんじゃなくて、全く読めない。
「変な人だよね」
・・・。「先生、このメール、ただ文字化けしているだけなので、直しましょうか?」
「えー。直せるの?この人、意味が解らない事を書いてるだけじゃないの?」
エンコードを直したら、すぐに読めるようになった。
そして、アドレス帳にも追加してあげた。
多分、某先生は私の背中に天使の羽を見ただろう、と思う。
先生は、多分、私が舞い降りるまで、「変なメール」のまま何も考えずに「そんなもんだ」と納得し、そして、多分、その人にメールを出さずにいただろう。人間は不満に気づきにくい。間違えたとしても「そんなもんだ、機械だもの」と勝手に納得してしまう。ウェブサイトの操作を見ていても、間違えた操作をしたとき、そして戻れなくなったとき、「そうよね、だってわたし初心者だもの」「やっぱりインターネットは若い人のものだからね」と勝手に納得する人は多い。多分、それで多くのウェブサイトはシニア層を無駄に逃している。
今日も話題に出たのだが、シニア層の場合、どこをクリックしたかだけを観察しているだけじゃダメだ。なぜって、完璧に勘違いしている場合のほうが多いからだ。例えば、何度も出てる話だけどサイトマップ、地図だと思ってクリックし続ける人もいる。それもアクセス解析だけで見るならば、1クリックになる。
アクセス解析はとても重要だが、数名のユーザーを見て、何故それをクリックしたのかを考える必要もある。もちろん、なぜそれをクリックしなかったのかも考える必要がある。操作している内に気が変わることも考えなくちゃいけない。とあるサイトでは最初は高評価だったのだが、時間がたつにつれて「目が疲れる」と評価が下がる場合も合った。そういうのも、全て感じなくてはいけない。
ところで、最近自分がシニア化している気がしてならない。
先日某様とスカイプをしていたときに、私が間違えた操作をしたとき、「デフォルトの設定でチャットにすれば?」とご指摘をいただいた(大感謝)。そういえば、「いっつも私、スカイプ操作のとき間違えるよなぁ」と思っていてそれでも、設定を変えるなんてことは考えもつかなかった。まあ、メッセンジャーはMSNがメインなので・・・と言い訳をしてみる。しかし、そういう「あきらめ」が多くなるのは心の平穏を求め、できれば波風を立てずに生きて生きたいと思うシニア化しているような気がしてならない。
でも、一つお願いが出来るならば、携帯電話、空メールが送れないようにして欲しい。あ、でもそういうサービスがあるのか。間違えてボタンを押して友達に空メールを送りまくっている。それもなぜか特定の友人にのみ空メールを送ってしまうのだ。(A君、すまぬ。)いわば無言メール。最後に「空だけどいい?」という警告、出てくれないものだろうか。