コミュニティを作る
弊社では異世代交流会というものをしている。
そのときにはすごく気を使うのだ。
誰を誰の隣に座らせるか。
この人はこういう話し方だから、この人の横にしよう。
食べ物の好き嫌いがあるといっていたあの人は、何でも食べてくれるあの人の横にしよう
この人は人見知りだから、この人と出会わせてみよう。
実は、以前、これを配慮せずに大失敗してしまったのだ。
「大丈夫、ナカヨシさん同士でコミュニティが発生するよ」とタカを括っていたら大失敗。
それ以来、組み合わせ、話の内容、全てに気を使う。それって、当然のこと。
(実は、私にとって、それは思い出したくもないことなのです。うちの会を催すときには、必ずその失敗話が出る。あんなに酷評を浴びた(裏で言っているのを聞いてしまった)会合もなかった。すぐに挽回しましたが、痛かったです。なので、暗くなるのでこの話については突っつかないで下さい。ただ、失敗もしている、という事実。)
とある生徒さんが若者との会合に、うちの異世代交流会に参加する気持ちで参加したという。
しかし、誰とも話が合わなかった。「気を使われている、って解るのよ。それって、すごく居心地が悪い」
普段、その言葉、不満は表に出ない。
特に、シニア・シルバー層は、「口コミ」で不満が伝わりやすい。若者よりもドッグイヤーな感じで。
シニアを呼べばコミュニティになるってものではない。
人が集まっただけで「コミュニティ」とは言わない。
そこに、何らかの共通項を、そこに集まる以外の理由で作り出してあげて、エスコートしてあげないとシニアのコミュニティは難しい。
「お忙しい中お越しいただきまして」の裏に
「70年生きている中の1日だよ」と思うか、「残り数年の寿命の中の1日だよ」と思えるか。
それは、コーディネーター、主催者の考え一つだ。