怖いということに共感する

今も、時折、パソコン教室の「先生」として現場に立つ。
現場は楽しいし、現場にいないと、感覚が鈍るから。
シニア層に教えていると、いつも思うことがある。
どうして、彼らは、いつも「正解」を覚えようとするのだろう?
正解を知ることはいいことだと思う。
だが、画面をいじってみて、正解をだすことも必要だと思う。
そちらの方が覚えられるし。
しかし、多くのシニアの方は、1回、2回、少しの操作をして、思った答えが出ないとすぐにギブアップしてしまう。
もちろん、解らない時は講師を呼ぶのがいい。
それで弊社は成り立っている。(ありがとうございます。)
しかし、どうしてすぐに、駄目だと思ってフリーズしてしまうのだろうか。
もう1つ隣のタブをクリックすればいいのに、その前で「もう無理」と思ってしまう。
ネットショッピングしている人も、クリックして思ったものと違う画面が出てくると「解りません」となる。
もう一歩前へ!と、声をかけたくなる。
大丈夫、大失敗したら、リカバリーするから。
だけど、もう一歩前進しよう。と声を掛けたくなる。
新しいソフト、新しいウェブ、常にこれは新しいから難しいと思い込んでいる。
だから、自分が想像していないものが出てきた瞬間にパニックになる。
ネットショップを持っている人とか、サービスを展開している人で、シニアも使えるようにしたいという方に、その「一歩前へ!」と声をかけたくなる瞬間を知らない人がいる。
みんなが、自分と同じように一歩前へ進めると思っている。
「出来る人に出来ない人の気持ちなんてわからないわよ」とシニア層が言う。
私も気持ちはわからない。私は運転が上手では無くて、運転がうまい人を横に乗せるとよく怒られていた。運転がうまい人に私の気持ちなんてわからない。
しかし、理解はできなくても、存在は解る。その気持ちがあることは、認める。
「前に通っていた学校の先生は出来る人だったから、僕のことをばかにしていたんです」とシニア層が言う。
たぶん、共感力が薄かったんだろう。
でも、そういう提供者さんは多い。
解る人が、できなくて、一歩前に進めなくて、パニックを起こす人にできることは、表面的な理解ではなく、そういう気持ちがあるということを認めることが必要なんだと最近つくづく思った。
だから、サイトの提供者や、サービスの提供者は、身近な人に自分が普通に使えるものを見せて、そして、使えな状況を目の当たりにして、その「使えない人の存在」と「使えない人の気持ち」を認めるところからはじめるのがいいんだと思う。
(弊社でそのお手伝いもできますけども、まずは、納得感がある認めるところから始めたいところです。)

しかし、試行錯誤できるというのは若さだなと思う。
「やらないよりやって失敗した方がいい」という意味の言葉を色々な人が言っているが、たぶん、大人になると、やらないことが増えていく、って言うことなんだろうと思う。
自分も肝に銘じよう。