男性のコミュニケーション

先日、シニア層のTさん(定年退職済み)とランチをしながら、男性のコミュニケーションについて盛り上がった。
話の発端は、老人ホームについて。
ワタシの知り合いの元気シニアが有料老人ホームを探していて、お試しステイをしたら、既に住んでいる方に「御宅のご主人様、どちらの大学ご出身?」と聞かれて参った、という話をした。
その話はヤソジ会(80歳以上が中心の飲み会)で出たのだが、「ひゃあ」と思ったものだ。定年退職して、何十回目かの青春においても尚、まだ学歴って重要なのか!
その話をしたところ、Tさんが仰った。
「定年退職して、そういう会合とかにいくと、男性は『僕は○○大学出身、○○商事で部長までいきました。あなたは?』と自己紹介が始まるんだよ」
ゲゲゲの鬼太郎。
そういう枠の中から外れると、自分自身を証明できるものがなくなるんだろう。自分という存在を支えているのは過去だったりするわけだから。
星野富弘さんの詩の中で好きなものに(タンポポの絵)
「人間だって どうしても必要なものは
ただ一つ
私も 余分なものを捨てれば
空がとべるような気がしたよ」
というのがあり、それを小学校のときにシスターに渡されたわけだが、小学生ながらに衝撃だった。要は、捨てられないんだ。過去とか、欲とか、脂肪とか、余分なものを捨てられない。
余分なものが世の中には多すぎるんだなあと、しみじみし、そして、その後、煩悩の世界にどっぷりしているわけだが、時折この詩を思い出す。(でも、多分色々なものが捨てられない。)
肩書きメタボリック、過去メタボリック。
でも、人間だから仕方ないよね。という話で結論づく。
「みんなゴルフが好きなんだよね」とTさんが言う。「でも、ゴルフもさ、ああ見えて、すごい上下関係があるんだよ。定年退職したのに!」
知り合いの75歳が、「会社のメンバーより中学時代の友達と会うほうが気が楽」という話をしていたのを思い出した。結局、序列の社会からは逃げられない。
#今の若者がシニアになった時にはなにか変わるのだろうか。変わるような、なにも、変わらないような。
シニア男性は色々な上下関係がある。ゴルフのクラブを高級なものを使っているとか、そんなものから、写真が旨いとか、そんなものまで。
上下関係をフラットにするのではなくて、その上下関係をうまく活かす手法がシニア男性マーケティングには求められているんだろうなあと思う。
ちなみに、シニア女性は、息子がいる場合、息子の学歴や仕事内容で同じことが起きたりする。
娘の場合は嫁に行ったか行かないかとか、嫁に行ってなくても仕事バリバリだもんね!ということで、水面下の争いをしていたりする。
私たちは、絶対的に生きているのではなく、相対的に生きている。それが、社会なんだなあと思う。
内側から形が作られるのではなく、外側から削られて、その人が浮かび上がってくる。そんな感じ。
その点を、マーケッターは間違えちゃいけないですね。