健常者
健常者ってすごい表現だ。
「障害者」のことも考えるアクセシビリティ、なのに、「健常者」の「パソコンのことがよく解らないけど使えてる」人たちのことはまったく忘れられている。ああ、彼らほど「アクセスできない」人はいないのに。
私のところに添付で書類を送ってくるのを嫌がる人が数名いる。
昔、あまりの書類の作り方の汚さに私が驚いていたら「ボクは基礎を勉強していないから」と仰る。基礎を勉強していないというか、本当に驚くほど時間の無駄な作り方をしている。私は今のサラリーマンの7割が本当はオフィスソフトを使えていず、「使えている気持ち」になっているだけなのをしっている。なぜなら、私に送ってくる書類は本当に時間の無駄な作り方をしている場合が多いからだ。それが多いことが4年位前にわかって、それから書類を送られても黙るようにしているのだが、本当は送られてきた書類を直したい。その時間の無駄を省きたい。それで忙しいって言っているんだから、私は、きっと彼は時間の使い方を知らないだけだろうと踏んでいる。
でも、本人は「別に習わなくても使えてるからいいのだ」と言う。「もしかして効率が悪いかもしれない。だけど、習う時間がもったいないじゃん」という。まだ若いのにね。頭が固い。習えば、本当に早いのに。というと「ボク、本当はパソコンが嫌いなんだ」という。もうよく解らない。素敵な友人たちはたまに習いに来てくれる。そして、毎回「なるほど!こんなことができるんだ」と笑顔で帰っていく。仕事が効率がいいのは素晴らしいのだ。
そんなわけで、「健常者」が「健常」であるとは全く限らない。健常者じゃなく、晴眼者という言い方もしますが、眼が晴れているからといって、その眼に映っているものは正しいとは限らない。「思い込み」「今までの経験」でウェブもパソコンも操作している場合が多い。作っている人が当たり前に皆使えてると思っているのは、多くの場合思っている以上に、いや、本当に欝になるくらい使われておらず、そして、皆の意見で「僕使えてるよ。えへへ」という意見はほとんどの場合、「私美人」と同類なほど、意味の無い言葉である。
若者ですらこうなのに、シニア層になるとパニックに対する対応が悪いというか、視野が狭くて、予期せぬ出来事に弱くて、何を予期しているのかは誰も想像がつかない(笑)
「晴眼者」=使える、問題ない という考え方が先ず問題なのだ。実は、本当に若い人でもインターネットをバリバリ「使ってる」人は少ない。それはGoogleをボクは使ってますと高らかに宣言している人でも。(笑)