老いの基準?
運営しているパソコン教室は年賀状シーズンで、毎日が年賀状祭りである。
この時期にしかいらっしゃらない人もいらして「1年ぶりにお会いできました!」と色々な意味で再会を喜ぶこともある。
1年に1回お会いすると、75歳くらいからざっくり老いるなあ、と感じる。
しかし、60歳だった人が、5年後に65歳になると、60歳のころの勢いはない。徐々に老いていく。
シニア層を観察する仕事をやっていることもあり、どうして「老いた」と思ってしまうのか、常々考えている。
「判断力が鈍くなる」「新しいものに対して拒否感が出る」「視野が狭くなり気付かなくなる」「聴覚が弱まり、うまく聞き取れないから理解が難しくなる」「聴覚が弱まるので、聞いたことを整理するのに時間がかかる」
女性は比較的若く見える方が多い。しかし、教えていると「あれ?この人、実年齢はかなり上だろうな。。」と思い、データを見ると、確かにご高齢だ。見た目の若さではなく、思考や理解の面で、確実に老いはある。
先日、「老いたなあ、と思う時はどんな時だろう」という話で盛り上がった。
<やっぱり、やっぱりの多様!>
ヒアリングしていても思うのが、「老いてきたなあ」と思う方が仰るワードに「やっぱり」がある。年齢が高くなればなるほど、「やっぱり」という言葉が多くなる。これは解りやすい老いの判断。
「やっぱり」の裏には、「説明が面倒くさいが、相手と共通の認識を持っている前提で話していいよね」というのがあるのではないかと、思っている。ヒアリングのテープを起こしていると、「やっぱり」除去機能が欲しくなる。
<複雑なものに対する拒否>
複雑な操作に対してものすごい拒否感が出てくる。
これをするために、右上のこれをクリックして、左下をクリックして、というのがダメになる。中をすっ飛ばして左下しか覚えられない。例えば、ファイルをクリック、切り取りボタン、貼り付けたい場所をクリックして貼り付けボタンをクリック。というのが異常に難しい。DeleteとBackspaceの区別がつかない。
<聴覚の衰えが原因なのか、人の話を聞かなくなる>
人の話を聞いたふりをする。(聞いているが、聞こえていない)
今、相槌を打っているので話を聞いていただけているのかと思いつつ、自分の話したいことが頭にいっぱいになっているので、話がかみ合わないことがある。(経験から話を自己解釈されることも多くなる)→耳が遠くなるのも原因かもしれません。
<予想外に弱い>
パニック(予想外の行動)が起きると、知っていることをやろうとする。その行動には何の意味もない。例えば、年賀状を作っていて、クリックした場所を間違えて違う画像が入った時に「間違った!」と保存せずにファイルを閉じる。(×をクリックしてから保存で「いいえ」を押す行為はこの時だけ光速 「あっ!」・・・。)
<失敗したくない>
新しいことはたくさん入らなくなるし、自分流のやり方がどうしても抜けないので、それを守ろうとする。それは当然である。今までやっていたのだから、それでやれば安心なのだから。少なくとも「失敗しない」と思う。
ワープロ出身の方は、ワープロの話を基本にしないと覚えていただけない。パソコンをやっていても途中からいつもワープロの話になる。
<自分はできないという思い込み>
自分はできない、という思い込みが激しくなる。できないと思う。という前提で入るとできるものもできないことが多い。
こんなあたりが老いの基準のメインテーマになるんじゃないかと思う。
老いることは悪いことではないし、誰もが老いる。
ご高齢の方でも、アグレッシブな方も多い。でも、アグレッシブでも老いる。
どう、自分の老いと見つめあうかって重要だと思う。
シニア向け商品を開発する方は、老いた人を他人と思わず、自分の未来として考えてほしいな、とも思う。
さらに、若い方と話すと、自分は老いないことを前提にしている人は多いが、老いは誰にでもやってくる。(だから、今からよく老いる準備をしないといけない、と、常々思っている。)
好奇心や判断力は、若いうちから培っておくことが重要。今が一番若いんですしね。
よく60歳くらいのギャルが「自分は今の80歳代見たいにはならない!」と仰っていることがあるんですが、その方が5年後に来て、その方の中に確実な老いを感じることは多いので。そうならない、という根拠のない自信よりも、ならないために、なにかをすべきなんだと思う。
で、そんな私は職業柄、色々な老いを観察しているわけで
最近、自分の中に色々な老いを見つけて、怯えつつ(やはり、怖いもんですね)、「良い年の取り方」を考えている。そのために新しい挑戦をいくつもしているんですが、昔よりもやはり新しいことを始めるのはしんどくなってます。(でも、そのしんどさを乗り越える必要があるなあと思っているのでがんばりますが。)
どうしたらよく「老いる」ことが出来るのかなあ、と思うと、自分のなりたいおじーちゃんなり、おばーちゃんなりをつぶさに観察して、自分の75歳overの像を創るのが手っ取り早いんじゃないかと思う。(ああなりたくない、というのもあればいい)
ということで、今日は「老い」の話でした。