3年後の未来は語れないけれども。
若い頃は、お金がなくても愛さえあれば大丈夫(なんていう妄想で)未来を想っていた。(9割脚色)
未来を想える、と言うことは、若さなのだ。
周りの人が、一人、二人と亡くなる度に
未来に対するちょっとした恐怖が生まれてくる。
シニア層を見ていると、
第一の差し迫った恐怖は「自分の両親が亡くなった年を迎える」時である。
少しの緊張感と共に、その年を過ごすことになる。
Yさん(88歳)は、海外暮らしをしており、1年に1回だけ日本に帰ってくる。
奥様を数年前に亡くされたが、
男性あるあるの、「奥様死んだら何もできない」タイプではなく
積極的にいろいろなことをして「忙しくする」ことが好きなタイプである。
生涯現役、だから(?)、年よりも、とても若々しい。
そのYさんが久しぶりに弊社にいらした。
「妻が亡くなってからしゃべる相手がいなくてさ、ろれつが回らなくなるんだよね」
実際、会社を辞めてからほとんど発話しなくなったという方を数人知っている。
そういう方たちは、声帯が衰えて、とても小さい声になる。
(奥様はいるのだけど、しゃべらないのかしら)
「だから、ロボットを買おうと思うんだよ。一人だとしゃべらないからぼけそうだしね」
「もしかして、ペッパー君ですか?」
「そうそう」
私ごとだが、
以前、伊勢丹でペッパーと遭遇したときに
「ペッパー警部歌える?」と聞いて
「そーなんだ、それで?」とあの目で聞き返されたとき以来、ペッパー君とは会話をしないと決めている。
あのペッパー君で、Yさんの話し相手になるのだろうか・・・。と思いつつ・・・。
それだったら、最近はやりのスピーカーの方がいいのかとか
ロボホンの方がいいのかとか思いつつ・・・。(個人的な恨みつらみ(笑)
「ローン3年を一括払いするから安くできないか聞いてるんだよね」
とYさん。
「3年後、生きているかわからないしね」
この手の会話は、この時期はあっけらかんと出てくる。そう、年賀状の季節である。
年賀状の季節の前に喪中のはがきが届き
次のお迎えはいつかという少しの恐さと
もう会えないさみしさと、年賀状を出す枚数が減るさみしさと・・・
高齢者にとって、3年後の未来は語るのが難しい。
いつ寝たきりになるのか、いつ亡くなるのか、それは自分自身でコントロールできない。
しかし、Yさんは帰るときに仰った。
「また、来年来るからね。来年もよろしくね。」
そう、来年はまだ希望にあふれている。
近い未来は希望があって、遠い未来に絶望はなくても、希望を持てない状況。
若い人とは感覚がとても違うが、
その違いを大切に感じたいと思った本日。