変化を拒む理由
沢山の方に会っているだけでなく、マナビという人ぞれぞれの思考が見える現場にいるから、「色々な人がいるなあ」という感想は通常の接客業よりも気づきやすいかもしれない。
私は共感力が低く、人の思考を知りたい欲が強いので、わからないことをどんどん質問してしまう。どうしてそう思ったのか、どのくらい困っているのか、どうしたら幸せなのか、などなど。それで講座を組み合わせて提案している。私の教室内での役割はそれだけかもしれないくらいに思っている。
ちなみに、相手のことを知れば知るほど良い提案ができるので、質問をして相手を知ることはいいことだ。強制はしていないし、踏み込み過ぎることもしないように気を付けている。プライベートなことを相談してくる方もいるが。
逆に、質問しないで提案をしてくる人を私はすごいと思っている。提案が全部ずれてるから時間の無駄だ。なぜ質問をしないで提案ができるという思考になったのかを聞いてみたいものだ。
実は、聞いたことがあるのだが、「自分は全部わかっているから」というのが答えだった。「神か!」
ということで、仕事柄、思考についての質問が多く、私の知りたい欲は適度に満たされる、良い仕事である。
ところで、これまた人の面白いなあと思うところ。
人は、わからないことが増える、または、わかっていたものが時代の変化で使われなくなった時に、頑固なまでに保守的になり、変化を拒む、という傾向があるようにみえる。
それは、高齢者だけではなく、若者もだ。比率的には年をとればとるほど、そういう傾向は増えるけれども。
「使い慣れたものを使いたい」「今までのやり方でやりたい」「新しいやり方とか困るんです」
その理由としては、覚える手間が面倒くさい、自分の生きていた証が否定されたように感じる(!)など、聞けばその人なりの理屈が通っている。まあ、気持ちはわからんでもない。(ただし、共感性が低いので共感はしない)
しかし、だ。これから高齢化社会に向かって、使い慣れたものに固執する人が多い社会になったら、それこそ日本の発展ってないよね、と思う。情報弱者ではなく、弱者の皮をかぶった強者だ。新しいものに順応しないと日本では新しいものが出てこないよ~といっても、「日本の未来よりも自分の毎日」となるのは当たり前だ。だからこそ、悩むところだ。まとまりがないまとめ。まあ、日記だからよしとしよう。noteに移行しない自分もなかなか保守的であると最近思っているが。