基準を探せ!
本日、溜まった新聞を大量に片付けていました。
「消費意欲の高い団塊世代を狙おう」
「高齢者向き高級○○」
そんな記事ばかり目に入る今日この頃です。
私の周りのシニア層の多くは、ベンツ、ジャガーを乗っています。が、それがとても自然体で、ベンツに乗る人は皆「安全だからね」と口にする。ステータスじゃない。「安全を買う」としたら安いもんですよ。という。
たとえばホテルを頼むとき、私が個人的に行くときは、それなりの折り合いをつけてこの辺で妥当かな、というラインで申し込む。が、シニア層は「安いのでいいのよ」といいつつ、本当に安いのを提示すると、「安くても、これとこれとこれとこれとこれとこれは譲れない」(条件多すぎ!)結局、高級ホテルになってしまうのですが、「いいのよ、それなら妥当だから」
ただ高いツアーに申し込むのではなくて、その基準が高くても見合うものだから探す。
たとえば、超高級ツアーでも、「無駄」はいらない。
こんなことはマーケティングを勉強している人には釈迦に説法で大変申し訳ないのですが、昔携帯電話が流行りはじめたときに売り上げが一番先に響いたのが、お菓子業界だという話。(女子高生・女子大生の部分で)
これは競合製品が代替品であるという顕著な例で。
携帯でいっぱい話したいから、お菓子の出費をちょっと減らそう。
基準値がお菓子と携帯、一緒なんですね。
65歳にとって55歳はぺーぺーですが、
20歳にとって55歳は「おじさま★」
「アクティブシニアは高いものを買う」、それは結果として事実ですが
その「高い」基準を若者に持ってきてはいけませんね。
そして、シニア層は「安心好き」。
ブランドは一種の安心であり、(当たり前ですが、巷で言われているブランド品、という意味ではない)自社サービスのブランドが、どれほどの安心感=裏切らない、奇抜でもない、を与えられるかというのが鍵になりそうです。
安心というのは、若い人にとっては物足りないものですが、普段「新しいものに対する焦燥感」を感じている人にとっては、心のより所になるのです。○○であれば間違いない、ナショナルであれば間違いない。みたいな。
実は、神戸から帰ってきて、一番ほっとしたのがエスカレーターでした。
夜遅くに羽田について、エスカレーターを乗ったときに、歩かない人たちが乗る方面が左側だったこと。
何も考えずに、赴くままにいる場所が、本来の場所であるという安心感。
そんな些細なことから、定年して地元に帰りたいという人の気分を味わい、「基準」について考えされられたのでした。若者の基準ではなく、シニア層の基準は見えてますか?